異血の子ら

妖魔(ヴァン)の王■

「ナムガとリュアは失われた、リュアの帯びた《門》も、ともに。もう一つの《門》を感じる。探せ!」
 低い唸りに混じり、不気味な声が繰り返す。それは、崩れ残った高台の頂上、廃墟の中心から響いていた。
 シェーヌは、目を凝らす。大きく損壊して支柱の根元だけが残るドームの中央あたり。飾られた塔が崩れたらしき、廃墟。瓦礫にさえ、輝石を砕いて描いた模様が残っている。その瓦礫が、浮き上がる。何かに、繰られている。耳の底に響く唸りは、その瓦礫が震えて発しているようだ。
妖魔(ヴァン)王……?」オーリンが呟いた。「あの、下なのか」
妖魔(ヴァン)王が?」
「予め敷いた魔法陣なくして遠翔(テレフ)の術が使えるのは、風霊(ウィデク)のみだ。自らの翼を誇る妖魔(ヴァン)は、魔法陣を唾棄しているとも聞く」
 この世界の理の通じぬ風は、妖魔(ヴァン)のほとんどを消し去った。遠翔(テレフ)の術を持たない妖魔(ヴァン)王は、術で、自らを埋めた瓦礫を繰って、地上へ出て来ようとしている。
妖魔(ヴァン)王リュウガなら、再び生き残りを結集させて、妖魔(ヴァン)一族を再建するだろう。──ここで、封じる!」
 オーリンが、シェーヌを振り向く。ご指示を、と、シェーヌは頷く。オーリンに妻があったと知っても、子がいたと分かっても、王を支えたいと動く自分の心を、シェーヌは自覚する。オーリンは現在の王であり、シェーヌは現在の次女王なのだ。
「あそこへ剣を」
 塔の廃墟、蠢く瓦礫の群れの傍らを指さされ、シェーヌは降りた。オーリンが、塔の向こう側へ降りて、自分の霊武器(フィギン)を深々と大地に突き立てる。シェーヌも、真似た。その二人に、石や鉄の瓦礫が生き物のように襲いかかる。瓦礫は、鉄の武器同様、精霊(ア=セク)を傷つけることはできないが、霊武器(フィギン)から手を放させようとする。地霊(ムデク)たちが二人の傍らに降りてきて、術を発した。瓦礫が、いくつか砕ける。
「時間がかかる! 霊力(フィグ)を使いすぎるな」
 オーリンは呪文を唱え始める。赤みのある金の色の光が細く飛んで、シェーヌの剣とオーリンの剣を結んだ。光の細線は、瓦礫に網をかけるように、魔法陣を描く。シェーヌも、念を篭める。オーリン自身から学んだ援護呪術で、オーリンの力に自分の力を縒りあわせる。
 精霊(ア=セク)の頭上に、別の声が降った。
妖魔(ヴァン)の生き残りは集え! 精霊(ア=セク)どもを阻止せよ!」
 シェーヌが目を上げると、竜と妖魔(ヴァン)を従えた、緑の翼の妖魔(ヴァン)が目に入る。声は、常の声ではない。霊力(フィグ)の篭った呼の術だ。
 緑翼の召集に応じた妖魔(ヴァン)は三十ほど。対して、精霊(ア=セク)はおよそ七十。ただし、上空で妖魔(ヴァン)と互角に戦えるのは風霊(ウィデク)のみ、その数はおよそ二十。地霊(ムデク)樹霊(ジェク)も、霊力(フィグ)で飛翔霊術具(フィガウ)を繰れば空中戦は可能だが、自翼で飛ぶ妖魔(ヴァン)ほど巧みに繰る者は少ない。精霊(ア=セク)のほうが多いからといって、気は緩められない、とシェーヌは自分の剣にかける手に力を篭める。
 
「ナズナを。……精霊(ア=セク)の手に渡さぬよう」
 サガは、ナズナを乗せた竜ロインにそう言うと、自分の片腕を竜のそれに変容させる。竜角の剣が容易には通らぬ鱗、鋭い爪。利き腕は、人の姿で、太刀を抜いた。
 ロインは、大きく羽ばたく。サガを下方に残して、高度が上がる。ナズナは思わず竜の首に回した腕に力を篭めるけれど、竜が揺れないよう心づかって飛んでいることは判った。
 ロインは、仮に地霊(ムデク)樹霊(ジェク)の飛翔霊術具(フィガウ)が上がって来ても逃げきれるくらいに距離をとってから、羽ばたきの速度を落として、ゆるゆると輪を描く。首を伸べて、下界を見つめているようだ。ナズナもロインの背からこわごわと地上を見下ろした。美しかった城は、猛風に崩れて、瓦礫の連なる廃墟と化している。その中央には、細い細い光が、橙金に輝く魔法陣を描く。精霊(ア=セク)王オーリンの髪と同じ色だ。魔法陣の両端に、数人ずつの精霊(ア=セク)が見える。
 魔法陣を背景とした空中、妖魔(ヴァン)精霊(ア=セク)が激突する。鳥に似た霊術具(フィガウ)に立って輝く霊武器(フィギン)を振るう精霊(ア=セク)もいれば、翼も道具もなく飛びまわり戦う精霊(ア=セク)もいる。妖魔(ヴァン)は、黒い翼で飛翔し、鞭を振るい、紫の色を帯びた剣を閃かせる。
 サガが片腕のみ竜形の姿で戦いながら、指示を飛ばしているのが、見える。サガは、妖魔(ヴァン)精霊(ア=セク)の流れの隙を見つけては、魔法陣を張る精霊(ア=セク)への攻撃を命じていた。
 ロインは、サガを気にしたかと思うと、気づかわしげに魔法陣を見つめる。ロインにとって、あの下に埋もれているのは、愛する夫、愛息子の父なのだと、ナズナは思う。まったく違う種族であっても。
 ナムガとリュアは、イズナが来たと言っていた、と、ナズナは目を凝らす。
 わずかに光の色が異なる霊武器(フィギン)、持ち主の髪の色、服の形。あれがイズナだ、と、見分けた。
 イズナが来て、精霊(ア=セク)たちが来た。ナズナがいま、妖魔(ヴァン)の側で予言の子と見なされているように。イズナも精霊(ア=セク)の側で予言の子と見なされているのだろうか。精霊(ア=セク)もまた、滅びを避けたい、その願いで、イズナを巻き込んだのか。ナズナは、そう、思った
 
 イズナは、城の廃墟を駆け抜けた。
「これは、なんだ?」
 橙金の光の魔法陣の傍ら。シェーヌを見つけて、問う。
妖魔(ヴァン)王を、封じる!」
 答えたのはシェーヌではなく、傍近くで剣を振るう、シェーヌと同じ色の髪をした精霊(ア=セク)だった。精霊(ア=セク)の王宮で、シェーヌに父と呼ばれていた男。
 遠翔(テレフ)でイズナたちを飛ばした、次女王。そのせいで、キラムは死んだ。けれど。
 イズナは黙って頷き、シェーヌに背を向け、襲ってくる妖魔(ヴァン)を防ぐ構えをとる。
 次女王を狙った妖魔(ヴァン)と、阻止しようしたシェーヌの父が、イズナの目前で切り結ぶ。妖魔(ヴァン)は鞭を振るい、シェーヌの父の両手を縛り上げる。イズナの視界の隅、シェーヌの顔が驚愕に歪む。父を囚われてなお、シェーヌは呪文を唱えることはやめない。イズナは、シェーヌの父に絡んだ鞭を切り落とす。シェーヌの父は、瞬間で体制を立て直し、妖魔(ヴァン)を肩口から切り裂いた。すっと剣を引く。瞬時、とどめを譲られたと理解し、イズナは、妖魔(ヴァン)の心臓を赤竜の剣で貫いた。妖魔(ヴァン)が崩れ折れ、イズナに霊力(フィグ)が流れ込む。
「これは、なんだ?」
 イズナと同じ問を発したのは、聞いたことがある声。
「エドア=ガルド!」
 イズナは、声の主に、叫び返す。因縁のある領主である。彼が、数十人の人間を率いて、なぜここにいるのかは、イズナには判らない。
精霊(ア=セク)たちが妖魔(ヴァン)の王を封じこめようとしているらしい!」
 イズナの返答を、エドア=ガルドは頷いて信じた。
「援護!」
 魔狩(ヴァン=ハンテ)と銃の射手たちは、次元が割れる異様な光景にバスとバイクを乗り捨て、谷を越えて来て。エドア=ガルドの号令一下、精霊(ア=セク)の護衛に散開する。弓も銃も持たなかったアスワードに、銃声が轟く。散弾は翼を破り、落ちた妖魔(ヴァン)に、魔狩(ヴァン=ハンテ)が切りかかる。一弾を放つと次の弾を込める必要があるが、その間は、魔狩(ヴァン=ハンテ)が援護した。
 シェーヌは、魔法陣に心を凝らす。オーリンとシェーヌの力を合わせても、妖魔(ヴァン)王の力に及ばないのが口惜しい。魔法陣の効果は無ではないのだが、じりじりと、妖魔(ヴァン)王の地上出現を妨げる瓦礫の数は減って来ているのだ。一方、地上戦・空中戦のほうは、人間たちが攻撃に加わって、明らかに精霊(ア=セク)側の有利に傾いていた。魔法陣にもっと、力が欲しい。
 シェーヌは、援護呪を止め、オーリンが唱える主呪文の声に自分の声をぴたりと重ねて、判断をオーリンに委ねる。
 オーリンは、即座にシェーヌの意図を汲んで、呪文を精霊(ア=セク)への指示に切り替えた。地下から響く不気味な轟音を圧して、オーリンの指示が響く。地霊(ムデク)樹霊(ジェク)を優先に、一人ずつ名をあげ、魔法陣の縁の位置を示し、大地に霊武器(フィギン)を刺させる。霊武器(フィギン)の質、霊力(フィグ)の強さを考慮し、バランスを取りながら。一本、また一本、その縁に霊武器(フィギン)が加わるたびに、魔法陣の光が増す。妖魔(ヴァン)に対する戦闘能力が高い風霊(ウィデク)の手には、霊武器(フィギン)を残した。
精霊(ア=セク)は陣に霊力(フィグ)を注げ!」
 精霊(ア=セク)たちは、ある者は霊武器(フィギン)に手をかけ、ある者はその手にさらに掌を重ねて、魔法陣に自分の力を加えてゆく。援護呪術を知らない者は、オーリンが、魔法陣に力を取り込む呪をかける。
「唱和せよ!」
 オーリンは命じ、自分も呪文に戻る。数十の精霊(ア=セク)霊力(フィグ)を縒り合わせ、呪文を唱和する。数十の精霊(ア=セク)霊力(フィグ)を合せているにもかかわらず。ただ一人の妖魔(ヴァン)王と、ようやく拮抗しただけなのを、シェーヌは感じている。力が、上回れない。
 イズナは、次女王の傍らで、近づく妖魔(ヴァン)を防ぎながら、周囲を見回す。精霊(ア=セク)は魔法陣のぐるりに並ぶ。その周囲、ところどころは精霊(ア=セク)に割り込むように、人間たちが精霊(ア=セク)を護衛する。人と精霊(ア=セク)混成の、魔法陣を囲む円形の列に、妖魔(ヴァン)が攻撃を加えてくる。
 エドア=ガルドがどうやって連れてきたのかまでは分からなくても、この場に多数の魔狩(ヴァン=ハンテ)が来ているのは、霊武器(フィギン)から見てとれる。服装の雰囲気から、他都市の者であることも推測ができた。それぞれの都市で妖魔(ヴァン)から人を守って来た者たち。次第に霊武器(フィギン)の光が薄くなりながらも、果敢に戦っている。体躯の大きなネルソン=ガロウがいるのは、気づいた。コトハもどこかにいるだろう。
 呪文の時間が長引くにつれ、敵も味方も、犠牲者が目立ち始める。妖魔(ヴァン)が飛びすがりざま、精霊(ア=セク)を斬る。魔法陣のそこここが欠けて、霊武器(フィギン)だけが残った。妖魔(ヴァン)は、銃で落とされ、魔狩(ヴァン=ハンテ)に止めを受けて、魔法陣の周囲に骸を晒す。魔狩(ヴァン=ハンテ)の方が倒され、妖魔(ヴァン)が死体を引き千切り分け合って、霊力(フィグ)を回復し怪我を癒してしまうこともあった。
「勝てるのか?」
 イズナは、次女王に尋ねた。
「……続けるしかない。全員を遠翔(テレフ)で逃がすだけの霊力(フィグ)は残っていない」
 呪文が唱和に移行したので、シェーヌは、問いに答えることはできるようになったのだが。
妖魔(ヴァン)王は、そんなに強いのか?」
「話しかけるな。気が散る」
 シェーヌは冷たい声になり、イズナは少し黙る。
 ニエルは、エドア=ガルドが持ち込んだ銃を気にしていた。
「散弾銃のようだな。花火の応用だろうが、今まででよく仕上げたもんだ。……借りられんかな?」
「聞いてみれば? エドア=ガルドに」
「そうだな」
 離れかけたニエルを、イズナは、呼び止めた。
「ニエル。指輪を返してくれないか」
 ニエルは、銃を扱うときに、父の形見に傷をつけてほしくないのだろうと、指輪を返す。
「ありがとう、ニエル」
 イズナは、父の指輪を母の指輪に並べてはめる。ニエルが離れるのを待って、次女王に指輪を示した。
「これでニエルは、巻き込まずに済む……。私を、妖魔(ヴァン)王のところへ、降ろせ」
「無茶を言うな」
「王宮からここまで、私たちを飛ばしたんだ。下までだって、飛ばせるだろう?」
「イズナ。何を言っているか、判っているのか?」
「お祖父さまを殺し、キラムを死なせた貴方たちが、今更、私の命は惜しむのか?」
 シェーヌの唇が、キラムは死んだのか、と、動いた。視線が、揺れる。
「……誰か! この位を替わってくれ」
 シェーヌは、魔法陣の位置を他の風霊(ウィデク)に任せると、自分がしていた首飾りをはずす。念を集中し、術を篭め、イズナの首に回して留めつける。
「呪や術が、見える。今の私にしてやれるのは、これくらいだ。そう長くは保たない。それから、魔法陣の呪縛が成ったら妖魔(ヴァン)王リュウガには触れるな。呪縛に取り込まれる」
「わかった」
「おそらく、降りた瞬間から狙われる。心して行け」
 イズナは答えるかわりに、剣を構えなおす。
 ニエルが、エドア=ガルドに、紙筒に数十の金属球と火薬を詰めた弾と銃、それに小盾を借りて戻ったとき、イズナの姿はなかった。
「イズナは?」
 尋ねたニエルに、魔法陣の元の位置に入ったシェーヌが憮然と答える。
妖魔(ヴァン)王の元へ、降ろした」
 ニエルが、呆然とした。
 
 遠翔(テレフ)を感じた次の瞬間、びゅん、と、風を切る音がして、イズナは脇へ飛びのいた。妖魔(ヴァン)の刃を、辛くも避ける。
「お前が、異血(ディプラド)魔狩(ヴァン=ハンテ)か」
 声は、ひどく年老いた妖魔(ヴァン)。地上で精霊(ア=セク)が編む橙金色の魔法陣の呪縛が、細く、しかししつこい暗金色の糸のように、妖魔(ヴァン)にまとわりつく。妖魔(ヴァン)が呪縛を祓う術は、糸を呑み込む藤色の細蛇の大群。妖魔(ヴァン)の輪郭を彩る紫紺の炎に見えるのは、地上の瓦礫を繰る術か。
妖魔(ヴァン)王リュウガ!」
 イズナは、返事のかわりに、王の名を呼ぶ。アマルカンを亡くした日のように、爆威(エザフィグ)が成れば。あるいは妖魔(ヴァン)王にも効くかもしれないと、思った。
 リュウガは、片手に鞭、片手に抜き身の刃。鞭がしなり、イズナが避けたと思うと、リュウガは体当たりに飛び掛ってくる。広間の中、滑空に似た動きでイズナを追い、ひと羽ばたきで姿勢を整え、次の瞬間には鞭と剣の二重の攻撃を放つ。イズナは、鞭を避け、リュウガの紫の剣を、白銀に輝く剣で防ぐ。キン! カン! キン! 刃の合わさる音が、地上の瓦礫から降りてくる低い唸りに重なった。
爆威(エザフィグ)よ!」
 イズナは心の中で念じる。しゅるり剣にからみかけた鞭を、イズナは飛び退って、なんとか抜いた。そこにまた、リュウガの、鞭が、剣が、襲う。
 黒色の視界に、匠精(メト)が術で磨いた壁が、奇妙な線画のように薄い灰色に見える。幾筋もの螺旋階段が、天井の高い広間の周囲、柱で区切られながら優雅な曲線を描く。
爆威(エザフィグ)……!」
 念じても、剣は応じない。
 イズナは、柱を盾に使いながら、階段を駆け上がる。追ってくるリュウガを、階段の途中から広間へと飛び降りて避ける。リュウガがイズナの頭上に迫るのを、前転で逃れ、跳び上がり、突きを入れる。刃で受けられ、キンという鋭い音が響く。
 少しずつ、ごく少しずつ。リュウガの動きが鈍くなったように感じる。振り向けば、リュウガを縛る暗金色の糸が、濃くなったように見える。リュウガはうるさげに頭を振り、対抗の術を編もうと、一瞬、印らしきものを結びかける。その胸元へイズナは剣を繰り出した。リュウガは、剣に鞭を絡めて止めた。鞭が刃にからんだ剣を、イズナは、力任せに、振るう。幸いにも鞭が切れた、飛びすさる。
 イズナにとっては突然に、闇が落ちた。「呪や術が見える」シェーヌの術が、切れたのだ。光は、イズナの霊剣の、薄くなってきた輝きのみ。壁も柱も螺旋階段も、闇に沈んだ。足元はほぼ見えず、大きくは動けない。リュウガの剣の刃の紫が、かすかに闇に見分けられる。リュウガの側は、闇の中でイズナを見るのに、何の困難もないはずだ。
 リュウガが打ち込んでくる剣撃を何度か受けた。リュウガの武器の、紫の色が大きくイズナを薙ぐ。剣で止めたが、体ごと跳ね飛ばされた。
爆威(エザフィグ)ッ! 来い!」
 剣が反応するどころか。床に体を打ち付け、イズナは霊剣を取り落とした。最後の光が消える。闇の中、リュウガの剣が、大きく振りかぶられたのが、分かる。その剣がまさに振り下ろされようしたとき、空が鳴って。リュウガの霊武器(フィギン)の紫の色が、消えた。
 自分の荒い呼吸の音だけが耳について、イズナは、静けさに気づく。地上から響いていた、瓦礫の舞う音が、止まっている。
精霊(ア=セク)たちの術が……、成った……のか」
 イズナは、体を起こし、手さぐりで自分の剣を探した。手のすぐ横に落ちた剣が、見えない。
 ──「何を言っているか、判っているのか?」
 精霊(ア=セク)の次女王に言われたのを思い出す。うん、これは、判っていなかったと言われてもしょうがない、と、イズナは自分に苦笑する。今、閉じ込められている地下深くの広間は、まさに漆黒の闇。この地下室を満たす闇に比べれば、アマルカンを失った雨夜さえずっと明るかった。次女王がかけてくれた呪がなければ、手も足も出なかっただろう。
 刃で指を傷つけないよう、床にそっと掌をはわせ、ようやく柄を掴んだ。霊剣を手にすれば、刃に光が戻り、わずかに周囲を照らし出す。妖魔(ヴァン)の王は、色を失った剣を振りかぶったまま、彫像のように硬化している。それを見上げて、
「私の最期は、飢え死にかな」
 イズナは、呟いた。餓死が耐え難ければ、最後に妖魔(ヴァン)王の心臓に一太刀くれてやって、精霊(ア=セク)たちの呪縛に取り込まれて終わるという選択肢もある。イズナは小さく笑んで、床に座りながら、剣を鞘に収めた。刃の光が、消える。
 思えば。剣が爆威(エザフィグ)を起こしたのは、アマルカンが死んだ後だった。戦いの最初にあれが起こっていれば、アマルカンは死にはしなかったのに。
 そして結局、妖魔(ヴァン)王を前にしても、爆威(エザフィグ)は起こらず。妖魔(ヴァン)王を止めたのは精霊(ア=セク)の術だった。自分の行動が何かの役に立ったのかは、判らない。妖魔(ヴァン)王でさえ出ることができなかった地の底、瞬きで視界が変わらないほどの闇。耳鳴りがするほどの静けさ。イズナは、引き寄せた膝に、頬をもたせかけた。
 
  ◆
 
 シェーヌの眼前、橙金色の魔法陣の光が眩く増して、次の瞬間、鋭い音と共に消えた。光のあった場所には、瓦礫や土が、魔法陣の形の金線に色艶を変えて、月光を反射する。瓦礫はもう、ぴくりとも動かない。上空から竜の悲痛な咆哮が響く。
「固定した……、追撃に移れ!」
 妖魔(ヴァン)が撤退する隙を与えず、オーリンが宣言する。
 シェーヌは周囲を見渡し、死者の武器を拾って、妖魔(ヴァン)を追う。くらり、とする疲労感。おそらくオーリンも同じ、他の精霊(ア=セク)たちも同じだろう。
「今宵こそ、妖魔(ヴァン)を滅ぼせ!」
「決着だ!」
 精霊(ア=セク)たちが、自らを鼓舞するように、叫びを交わす。
 オーリンが、エドア=ガルドに近づいた。二言、三言、言葉を交わすが、シェーヌのところまでは聞こえない。エドア=ガルドが苦渋の表情で頷き、オーリンの指示が飛ぶ。
「武器を魔法陣に埋めた者! 地霊(ムデク)は、息のない人族を焼け! 樹霊(ジェク)は負傷者を集めよ、精霊(ア=セク)も人族もだ」
 遺族があらためることもなく遺体を損壊することに、人間がもつ抵抗感は、シェーヌにも理解できる。だが、霊力(フィグ)消えきらぬ死体を妖魔(ヴァン)が食って回復しつづけるのは、避けねばならなかった。オーリンの命令に、精霊(ア=セク)たちが動きだす。武器を魔法陣に費やし丸腰の精霊(ア=セク)に、妖魔(ヴァン)が襲いかかり、武器のある精霊(ア=セク)魔狩(ヴァン=ハンテ)が援護に入り、またしても戦闘となる。
 
 ナズナが見下ろす地上。地霊(ムデク)が焚く火が、点々と、燃え始める。
 危うくなると散弾の届かない上空へ逃れることができた妖魔(ヴァン)は、風霊(ウィデク)が戦闘に復帰して、地上近くへと追い込まれた。
 精霊(ア=セク)妖魔(ヴァン)も、霊力(フィグ)の疲労に悩まされるが、銃の威力は変わらない。翼を傷つけられた妖魔(ヴァン)が落ち、援護しようとした妖魔(ヴァン)が地上に降りた。そこに魔狩(ヴァン=ハンテ)がかかってゆく。妨げようとしたサガが地上に近づきすぎた。銃が火を噴く。緑の翼が裂けた。竜が悲鳴を上げ、ナズナを振り向く。言葉はわからないのに、降りていいか、という意味だと確信した。ナズナは頷いた。竜は翼を畳んで、急速に降下し、サガをかばう位置に降りた。
 ナズナの姿を認めて、風霊(ウィデク)が竜を追う。妖魔(ヴァン)風霊(ウィデク)を遮ろうとして、剣を交わし、傷ついて落ちた。妖魔(ヴァン)の過半が、一所に集まってしまうと、無傷の妖魔(ヴァン)までが引き寄せられて、加わった。
 いつのまにか、妖魔(ヴァン)の生き残りは全て、建物の残骸、崩れ残った壁を盾に、身をよせるように集まっていた。
 精霊(ア=セク)と人とが、その周囲を囲む。風霊(ウィデク)が、妖魔(ヴァン)の上空を威圧する。
 シェーヌは、包囲に加わりながら。竜の傍らに降りた異血(ディプラド)の娘に目をやった。あの姉娘を、妖魔(ヴァン)は予言の子と受け取っているのだろう。竜と何体もの妖魔(ヴァン)に固く守られている。
 
 地下、イズナの前に、何かの気配が立って。イズナは目を上げる。漆黒の闇のなか、光が灯った。風霊(ウィデク)は、指先に熱のない火を燃やす。赤みのかかった金色の髪が揺れた。
精霊(ア=セク)の、王?」
「シェーヌには、二度遠翔(テレフ)ぶ余力がない。かわりに、来た」
 オーリンは、イズナに手を差し伸べた。
「イズナ。ナホトカが自らを賭すだけのことはあるな。お前が注意を引いてくれたおかげで、瞬時、隙ができた」
 どうやら、褒めたつもりらしい。
 イズナは、かぶりをふった。降りた瞬間は、自分の手で、妖魔(ヴァン)王に止めを刺せる気でいたのだ。
 迎えに、来たというのだろうか? 王が? イズナが戸惑ううちに。オーリンは、イズナの両肩に手をかけて引き起こし、遠翔(テレフ)した。