異血の子ら

■オーリンの王宮■

※今回は、有希之武さんの「エンシェント」というアヤカシ・シリーズ以外の作品を、シェーヌのイメージイラストとしてお借りしています。

 昨日シェーヌがナホトカを斬った王宮の広場に、今、知らない気配が降りている。気配は三つ。会ったことのない風霊(ウィデク)。 微量だが電気を帯びた人族(ユム)。 そして、霊武器(フィギン)を携えた、異血(ディプラド)人族(ユム)
「王妹ラローゼの……」
「ラローゼ様の……」
 精霊(ア=セク)たちが、ざわめくのが分かる。
「オーリン……、異血(ディプラド)の娘が来たようです」
 報告するシェーヌの声が、かすれた。

 イズナを迎えての、精霊(ア=セク)王オーリンの謁見は、早々に調えた。
 王宮は巨石を組んだかのような洞窟、玉座の間は常に風が吹き抜ける天井の高い大広間だ。天然の岩を匠精(メト)が磨き、金と宝玉の細工物をはめ込んで飾っている。
 オーリンが壇上の玉座につき、シェーヌは傍らに控える。壇の下は、周囲を、ぐるりと精霊(ア=セク)が囲む。王の従兄弟であり次女王の父であるセンティスが、三人を王座の間の中央に案内した。精霊(ア=セク)の髪は色とりどりだ。次女王と全く同じ色の髪をもつセンティスは、かえって目立つ。
 来客の一人目は、風霊(ウィデク)の少年。二人目は、人族の男。男は、アスワードではあまり見かけない長いコートを纏い、どこか異様な風体で、電気を感じる。そして、三人目は、霊武器(フィギン)を持つほかは、人間の街ではよく見る服装の少女。それぞれにかなり違った三人組だが、霊術具(フィガウ)遠翔(テレフ)の指輪で結ばれているのが、シェーヌには判る。
 風霊(ウィデク)の少年が、片膝をついてとか、頭を下げてとか、男と少女に最低限の礼儀を小声で指図してから、キラムと名乗った。
「武器は預かりますか」
 センティスが聞いた。
「父上、お願いしま……」
 霊武器(フィギン)を取り上げさせようとしたシェーヌを、オーリンの声が遮る。
「センティス、そのままでよい」
 キラムは深く頭を下げる。
「イズナに、王の保護をお願いしたくて、参りました。イズナの父は、人間で、魔狩(ヴァン=ハンテ)のカイ。母は、人間のシズサと、……王妹ラローゼ様です」
「ナホトカが言っていた異血(ディプラド)とは、お前か。ラローゼめ、報告がないゆえ、生んだのは男の子だと思い込んでいたが。異血(ディプラド)の娘を生んでいたとはな」
「ナホトカ様がここに立ち寄られたのですか?」
 キラムが、オーリンに問い返す。
 オーリンは、玉座を立つと、風霊(ウィデク)独特の、地の上をわずかに浮いた動きで、壇を下りる。品さだめをするように、片膝をついたイズナに寄った。
「ナホトカは、私が処刑させた」
 オーリンの声に、シェーヌはぞくりと顔を上げた。処刑を、と言ったのも、シェーヌ。手を下したのもシェーヌである。身じろいだシェーヌに、
「次女王! 控えよ! 誓いを忘れたか」
 オーリンの鋭い声が飛んで、シェーヌは動けなくなった。呪でもなんでもないのに、動けない。かつてシェーヌは、オーリンより前に命を捨てないと誓った。ナホトカは運命が流れるまでイズナを探すなと遺言したのに、イズナの方がやってきた。『アヤカシの王の族、逝くを見よ』──予言の一節が、シェーヌの頭蓋の中で響くように鳴る。
 オーリンは、薄い笑いで、イズナを見下ろしている。
「お前は、姉か? 妹か?」
 イズナが顔を上げた。反発で燃えるような目が、オーリンの目と合う。
「妹です。姉は、妖魔(ヴァン)に攫われました」
 精霊(ア=セク)たちが、どよめく。ナホトカは、彼らの前で、異血(ディプラド)の娘が二人いるとは言ったが、妖魔(ヴァン)がすでに一人を手に入れていることまでは、口にしなかったのである。
「『二のアヤカシは一となる。異血(ディプラド)を受けるもの、その母なる者の唯一の娘、近接(タゲント)の刻に門を開いて、望む全てをノ=フィアリスへ導く。アスワードは人間の世界となる』──この予言を知っておるか?」
「いいえ」
「くだらぬ予言だ。私は予言を信じない」
 嘘! とシェーヌは思う。本当に予言を信じないなら、なぜそんなにイズナの近くに立つのです、霊剣をもつイズナを挑発するようなことをおっしゃるのです、叫びだしたいが、声は出ない。
 予言が果たされるなら。贄たる王族は、妖魔(ヴァン)に殺されねばならないとは、予言は規定していない。死がありさえすればいいのだ。
「それは、イズナの保護はお願いできないということですか」
 キラムは困惑している。
「そうだな。牢なら提供してもよいぞ。王廷を騒がせた罪人として。妖魔(ヴァン)どもは入れまい」
 そこまで言って、オーリンは、イズナの剣にとめた目を、不審げに細める。
「赤竜の剣……? 赤い竜の剣では精霊(ア=セク)は斬れんぞ?」
 精霊(ア=セク)を屠るには、翡翠竜の角であつらえた剣が必要だ。
 オーリンの語調にはまだ挑発の色が残っているが。オーリンの心は揺れている、と、シェーヌは思う。今度こそ予言は実現しようとしているのか。それとも、これまでの近接(タゲント)で予言が果たされなかったように、今回も果たされないのか。
「ここには保護を求めに来た。精霊(ア=セク)と戦う気はないから、精霊(ア=セク)が斬れなくてもかまわない……」
 イズナの口調にも、キラム同様に、戸惑いがある、と、シェーヌは思う。当たり前だ。イズナには、なぜ精霊(ア=セク)王が自分を挑発するか判らない。精霊(ア=セク)王がイズナを運命だと受け止めていることも知らない。
「でも、祖父がここで殺されたなら、保護してくれとは、もう言わない。キラムが回復するまで居させてほしい。牢の中でも構わない。……祖父がなぜ処刑されたのか、知りたい」
 イズナは、まだナホトカを祖父と呼んで、真っ直ぐオーリンを見上げる。
 王が躊躇ったように、ニエルには思えた。場は静まり返っている。ニエルにはそれがまるで、居並ぶ精霊(ア=セク)たちもまた、ナホトカの死を納得していないかのように感じられた。
「ナホトカの第一の罪は」
 王の口調は、冷笑の気配が消え、静かだった。イズナの心からの問いに、誠実に答える声に、ニエルには聞こえた。
「エドア=ガルドを保護して、人族たちの間に電気というものを蔓延させたことだ」
 それは変だ、と、ニエルは思う。エドア=ガルドが電気を開発しはじめてから、三十年以上になるはずだ。なぜ、今、処刑なのか。
「第二の罪は、お前とお前の姉を生かしたまま、人族として育てたことだ。予言を信じるというなら、一人を殺し、一人を王廷へ献じて、精霊(ア=セク)のために育てるべきだった」
 精霊(ア=セク)王の声は、今は、優しくさえ響いた。
「ナホトカの罪は、精霊(ア=セク)より、人族たちと、人族の血をひく異血(ディプラド)の子らを愛したことだ」
 イズナが、目を伏せた。
「わかり、ました」
 低く、呟く。感情で納得したのではなく、精霊(ア=セク)と人間の差を頭では理解した、という口調だった。
「この世界じゃ王に対してどうするんだ」
 ニエルは、話に割り込む決心をして、キラムに囁いた。
「どうって」
「礼儀」
「片膝をついたまま、頭を下げるんだ」
 ニエルは素直に頭を下げる。
「俺の名はニエル。ノ=フィアリスのアヤカシ・ハルシアから、アヤカシの王に伝言を預かって来た」
 ニエルは、内ポケットからハルシアの包みを出して開き、一つ目の石を掴み出す。石は、煌いていた。イズナに見せたときより、もっと強く。
「妾の名はハルシア、銀の髪の異血(ディプラド)、アヤカシの王の血筋。ノ=フィアリスについて知りたくば、石を開け」
 石が喋るように、声がした。が、そのとき。二つ目の石が包みから飛び出すように、空に浮かんだ。
 空中に、女の姿が浮かぶ。胸元に巻いた布は血塗れ、床についている。銀の髪と黒い翼を持っていた。
「いとしい、いとしいあなた。隠していてごめんなさい。私は怖かったのです。あなたが私の名を知ったとき、どう受け止めるか。愛しています。愛しています、いまも。子はハルシアと名づけました、ディノクに託します。ハルシアが《門》を開くまでにこの石があなたの元に届くなら、どうか、ハルシアとともに」
 声がとぎれた。女はまだ目を開いていたが、その目からは明らかに生気が消えていた。幻が、薄れて消えた。
 シェーヌは、血想晶(プラディースタ)がまだ一つ残っていることを意識する。異界から来たという男の手のなかにあった。オーリンが何か言おうとした。シェーヌは、
「お前たちが、まこと、運命の流れそのものならっ。《門》を開いて見せよ!」
 三人に、掌を突きつけると、術を投げた。遠翔(テレフ)の指輪で結ばれた三人の姿は一気に掻き消える。
「シェーヌ! 何を」
「飛ばした……」
 アヤカシの王の血筋、と、一つ目の石は言った。以前、オーリンが、精霊(ア=セク)王の王子と妖魔(ヴァン)王の王女の間に異血(ディプラド)の娘がいたと話したことがある。けれど、その記録はどこを探しても見当たらなかったのだ。他の精霊(ア=セク)が知らない、オーリンしか知らない、異血(ディプラド)の娘が存在したかのように。
 二つ目の石に篭められた伝言を、知りたくなかった。自分の推測が確定するのが怖かった。咄嗟の嫉妬だったと思う。
遠翔(テレフ)の先は、妖魔(ヴァン)の城、だな?」術で移動の先を知ったのだろう、オーリンは呟くと、瞑目して息を吐く。「舞台は整ったということか」
 その一言を聞いて、シェーヌは愕然とする。自分は何をしたのか。
 オーリンが、張りのある声で、命じる。
「方針を変える! 妖魔(ヴァン)の城へ向かう。この王になおも従う者は、急ぎ、準備をせよ」
 
 周囲があわただしく準備を始めた中、シェーヌは、半ば強引に、オーリンの掌に指を滑り込ませる。こうすれば、声を出さずに意を通じることができる。
「なぜ、妖魔(ヴァン)血想晶(プラディースタ)が、精霊(ア=セク)の王廷で開いた? 異血(ディプラド)の子は妖魔(ヴァン)の血を引くのか?」
 オーリンは、はっきりと首を横にふった。
「子をなせば、血想晶(プラディースタ)は、夫の前でも開く」
「封のある石にオーリンが答えようとしたのは、……やはり……私の気のせいでは、ないのか」
 オーリンの視線が鋭い。シェーヌは俯いた。
「ごめん……、ごめんなさい。大切なことだったのかもしれないのに。私は……、飛ばしてしまった」
 こんなことを聞いている場合じゃない、こんなことで嘆いている場合じゃないのに、と、シェーヌは自分を嫌悪する。もしもほんとうにこのまま予言が適い《門》が開くなら、オーリンとシェーヌが召集の紋章を上げなかったことで、多くの精霊(ア=セク)がノ=フィアリスに渡る機会を逸する。
 そして、今、妖魔(ヴァン)の前に姿を現せば、妖魔(ヴァン)はオーリンを真っ先に殺そうとするだろう。予言の贄として。
「もうよい。私の罪に比べれば、罪のうちにも入らぬ。……三百年と少し前。先の近接(タゲント)の数年前。精霊(ア=セク)には、愚かな王子がいた」
 オーリンが王位を継いだのは、近接(タゲント)の直後。数年前、というと、まだ先王の治世、オーリンが王子であったころ。
「当時、予言の第一行、『二のアヤカシは一となる』を、精霊(ア=セク)妖魔(ヴァン)が和解し融和すると解釈する一派があった。融和派という。精霊(ア=セク)の王子の身でありながら、融和派に魅せられた。ディノクは、当時の私の腹心の名だ」
「融和派が、いけないのか?」
「融和派に組するということは、妖魔(ヴァン)と和解し、人族を見捨てるということだ。ひいては、人族と親しい地霊(ムデク)を切り捨てるということだ。なのに、融和派に組し、さらには妖魔(ヴァン)の娘と恋に落ちた。彼女は、身篭って……、妖魔(ヴァン)に攫われた。取り戻そうと画策している時に、彼女が妖魔(ヴァン)王の娘であることを知ったのだ。異血(ディプラド)の娘を得るために自分は利用されたのではないのか、攫われたこと自体が芝居なのではないかと、疑いを払えず、妻子もディノクも見捨てて、一人、精霊(ア=セク)の陣営に戻った。先王……父は、王位の重さを知れ、と私を王位継承者に戻した後、先の近接(タゲント)の戦いで、逝った……」
「王様」
 匠精(メト)に声をかけられて、シェーヌは思わずオーリンの手を放した。
「お支度を」
 匠精(メト)の最も年を経た者が、王のための戦支度を持って、立っていた。シェーヌと仲の良い匠精(メト)が、次女王のための支度を持っている。生来小柄な種族なので、鎧と武器とを支えるだけで、爪先立ちだ。
 王の身支度を手伝いながら、年嵩のものが口を開く。
「わたしらは、今回、御供をいたしません、……王宮にいる匠精(メト)は、ノ=フィアリスを望まぬことにいたしました」
 王と次女王が口を挟む間もなく、次女王の鎧を着せかける若い方が言葉を継いだ。
「王様が、戦いで精霊(ア=セク)がたくさん死んだとおっしゃったから、いっぱい考えました。古老の話も聞きました。匠精(メト)霊武器(フィギン)を拵えることはできますが、戦うのは苦手です。前の戦いで一等たくさん亡くなられたのは、匠精(メト)と子供らを集めて守っていた精霊(ア=セク)の方々だと知りました」
「もしも予言が成らなかったら、また、お仕えさせてください。けれど予言が成るなら、匠精(メト)は、滅びの日まで、人族と共に暮らしてゆきます」
 匠精(メト)たちの語調には、王の方針の変更に対する悪意はなく。ただ精霊(ア=セク)側の勝利への願いがあった。
「わかった。万一にも王宮に攻撃があるといけない、我等が出立したら、近接(タゲント)が終わるまでは身を隠せ」
 オーリンが頷き、年嵩のほうは、一礼して他の仕事へと戻っていった。匠精(メト)たちは、戦いに赴く精霊(ア=セク)たち全てに、合う武器を配り、鎧をあわせてゆくのに忙しい。
 若い方は、まだもじもじして、いる。
「あの、それから、次女王様。竜は滅びたけれど、角や鱗を残しました。わたしらが滅びても、わたしらが作った美しい物が残りましょう。けれど、大きな精霊(ア=セク)の方々が亡くなれば、亡骸さえも残らない。滅びることが、たいそうたいそう怖い方たちがあるとしても、どうか、あまりお怒りにならないでください」
 懸命な様子でいう。反乱の計画はやはりあった、共に来ないかと匠精(メト)を唆した者があったのだ、とシェーヌは思う。しかし、それがあったからこそ、匠精(メト)はこの結論をあらかじめ出すことができた。戦力とならない匠精(メト)を守る人数を割かずに済むことで、戦況が有利になることは否定できない。
 そしていま、彼らは、匠精(メト)の滅びを代償に、反乱の追及をしないで欲しいと言っている。
「我らはこれより戦いに赴く。戦いの場で、精霊(ア=セク)の心を一つにできなかったとしたら、それは王の責だ、誰を咎めよう?」
 オーリンが答えるのを、シェーヌは聞く。ナホトカを斬ったのは、シェーヌなのに。すべての責を負うのは王なのだ。
「ご武運を、王様。次女王様も、ご武運を」
 若い匠精(メト)は、幾度も頭を下げてから、仕事に加わりに駆け去って行った。
「過去に何があろうとも。現在の私は、精霊(ア=セク)の王だ」
 オーリンの言葉は、シェーヌに向けたものなのか、それとも自身に向けたものだったのか。シェーヌには、区別がつかなかった。