異血の子ら

■十七都市の魔法陣■

 コトハは肩で息をする。今日、すでに五戦を戦ったのに、まだサイレンが鳴っている。
「昨日もわりに多かったけど……。今日はもう、なんなのよっ」
 小さく、毒づいた。
 以前、倒れたのを教訓に、霊力(フィグ)を浪費しないよう、心して戦っているとはいえ。体はすでに鉛のように重い。足を引きずるようにバイクを降り、次の指示を受けようと詰め所に入って。息を呑んだ。
「マキサ……」
 アマルカンの遺児が、そこに立っていた。
「あんまりサイレンが鳴るので。僕でお役に立つことがないかと」
「お母様は……」
「説得しました、昨日ですけど。昨日もサイレンが多かったから。もしも今日もサイレンが多かったら、と、昨日のうちに決めていたんです」
 アマルカンが試みさえしなかったことを。と、比べるのはアマルカンに気の毒だとは思う。条件が違いすぎるから。しかし、それでもやはり、マキサの努力はかなりのものだったろうと推し量る。
「正直にいうわ。私も限界。バイクはもう置く。装甲車で一緒に出て。現場に着くのが、一、二分遅くなるけど。貴重な一、二分だということは判っているけど」
「判りました」
 コトハは、詰め所に入って、アマルカンのブレスレットを取り出した。保存する意味はなく、感傷でしかないと知りつつ入れたアマルカンの半仮面が、誰も処分しないまま、一緒に置かれていた。
 両方を、マキサに渡す。
魔狩(ヴァン=ハンテ)が二人来たというだけで、たいていの妖魔(ヴァン)は逃げると思う。いてくれるだけで、すごく助かる。ただ、この霊武器(フィギン)は、霊力(フィグ)の消耗が他より激しいと聞くから。光らせるのが辛くなったら、すぐ教えて」
 装甲車に乗り込んだ。
「被害者を増やしたくないという気持ちも、無論、ありますけど。それよりももっと……、父のことを知りたくて、と言ったら怒りますか?」
「いいえ」
「父は怪我が多くて。発電所の整備をするのに、どうしてこんなに怪我が多いんだ、と。見かけによらず不注意だと。母はよく怒っていました……」
「そう……」
「父は手当ては済んでいるからって、傷を母や僕に見せたことがなくて」
「ねえ……、気づかなかったのは、あなたやお母様が悪いわけじゃないわ」
「父は、誠実な人でした。父が、母や僕に嘘をつくことを、楽しんでいたとは思えないんです」
 焦りのない手つきで半仮面をつけるマキサを、コトハは見守った。
妖魔(ヴァン)が攻撃をしてきたら、反撃しようとか考えないで、逃げて。その霊武器(フィギン)は、初戦で扱えるような代物じゃないから」
「はい」
 車が妖魔(ヴァン)のいる現場につく。マキサは車のドアを開いて、降りる。ブレスレットに手を添えて、念を篭めた。マキサの手の中に、長剣が現れた。
 この日、コトハ単独五戦、マキサと組んで二戦、ネルソン=ガロウ単独七戦、マキサを引き継いで一戦、通常、戦闘には出ないエドア=ガルドが三戦、魔狩(ヴァン=ハンテ)が向かえなかった花火の数、五。合計二十三。明日になれば、花火が上がらなかった行方不明者の数も上がってくるだろう。
 数百年の歴史にわたって、一日の犠牲が平均1、というトキホの街にとっては非常事態だった。
「昼の勤めは休めるように手配しておく、明日は直接、昼すぎから内屋敷へ入ってくれ」
 エドア=ガルドの指示をうけ、マキサを自宅へ送り届けてから、ネルソン=ガロウとコトハは自宅に戻って泥のように眠った。
 
  ◆
 
 イズナは、何度目かの食事の時に、抱き起こしてやると目を覚ました。自分で食べるというので、煮た穀をいれた小鉢を手渡してやる。
「お粥だ、ありがとう」
 まだ弱りきっているのは見てわかったので、ニエルは、咽せたりしないように見守ってやる。
 イズナは、食べながら、眠っているキラムの顔を何度も見て、息遣いが規則正しいのを確かめているようだった。
 ニエルも、つられたようにキラムを見る。整った顔立ち、腰まである長い髪は、青みを帯びた白。ふっさりと長くなった睫が、目元に影を落としている。
「なんだか、キラムのやつ、えらいキレイな生き物になったな」
 率直な感想を言ってみたが、イズナはそれほど驚いていないようだった。
「キラムは、風霊(ウィデク)だもの」
「イズナのお母さんってのも、キレイだったのか?」
「うん、まぁ、そうかな」
 ふわりと笑むイズナも、つくづく見直せば、美しい少女なのだった。今まで緊張した顔か、悲しいか、怒っているところしか見ていなかったことに、ニエルは気づく。
 キラムは、丸一日眠り通して目覚めた。食べては眠り、を、繰り返していたイズナも、思ったより急速に回復したこともあって、キラムは、
「もう待てないし、待つ必要もないと思う」
 と言い張って。イズナがアマルカンから受けとった両親の形見の指輪は、遠翔(テレフ)の指輪という霊術具(フィガウ)だと、説明した。キラムもよく似た指輪を持っている。ラローゼは遠翔(テレフ)の術を使えたので、この指輪で結びついたカイとキラムも一緒に飛ぶことができたのだという。
 
 シズサ=ラローゼの銘がある指輪を、イズナがはめた。キラムはずっとしていた自分の指輪だ。ニエルは、カイの指輪を借りた。この三つの指輪と成長したキラムの力で、オーリンの王宮まで遠翔(テレフ)……、ニエルに馴染みのある言い方をすれば、テレポートするというのである。ニエルはしみじみと古びた指輪を見た。
「強い精霊(ア=セク)になると、遠翔(テレフ)はそれほど苦にならないらしいんだけど。おいら……まだそれほど上手に飛べないし、日に何度もは飛べないと思うんだ、でも……、もう待てないから……」
 キラムが自信なげなのが、不安なのだけれど。おいら、という一人称に、すっかり変わってしまった容貌に不似合いなのが可笑しいと、ニエルは無理にも笑って見せる。
 二人が眠っていた前日の夕、妖魔(ヴァン)の来襲を告げるサイレンはひっきりなしだった。あれはイズナを狙ったものなのだろうか、イズナがこの都市からいなくなれば、あの襲撃は止まるのだろうか、と、ニエルは考えを巡らせる。
 イズナの現在の事情に比べると、ニエルのD-クラッカーの表示ゲージがずいぶん下がったとか、上昇に転じたらそれは近接(タゲント)の日がすぎたのを意味し、ノ=フィアリスでハルシアと交わした契約が切れるとかは、瑣末事にも思えてくる。
 人間として住んできた街を捨てて、精霊(ア=セク)王の保護を求めるのに。イズナのした準備といえば、魔狩(ヴァン=ハンテ)の詰め所から最終的に私物を引き揚げて来たのと、鶏小屋の鶏を隣人に引き取ってもらうくらいだった。
 きちんとして見える服が他にない、といって、イズナは学校の制服を着ている。それもなんだかちょっと場違いではないか、と思うニエルだが、地霊(ムデク)樹霊(ジェク)が人のふりをしてイズナと姉を育てていたこの家では、現金収入というものがかなり乏しかったのは理解しているので、何も言わなかった。
 ニエルは、キラムの負担を少しでも減らすため、自分の脚部とミューの電源を切っている。ミューは、内ポケットにつっこんだ。再起動したら文句を言うかもしれないが。
 指輪をしていれば、手を繋がなくてもいいはずなんだけど、不安だから、というキラムのために、三人で手を繋ぎ、輪になった。
「じゃ、いくよ?」
 軽い圧迫感が消えたとき、ニエルたちは鋭い山の頂に近い、広場のような場所にいた。トキホを発った時点は昼下がりだったのに、時差のある距離を越えたその地は、朝の気配に満ちていた。耳がかんとする。ニエルは、あわてて唾を飲み込んだ。 
 
  ◆
 
 コトハが、ネルソン=ガロウとマキサとともに、半仮面をつけて、エドア=ガルドの会議室に入ったとき、いつもは魔狩(ヴァン=ハンテ)の世話係をしているノワカが、盛大に焼き菓子をぱくついていた。周囲には、飲みかけの飲み物や、他の菓子が散らかっている。
「これから大仕事だから、緊張しちゃってね」
 ノワカは、にやりと笑うと、またもう一口、菓子を頬張った。
 エドア=ガルドがノワカに尋ねる。
「昨日から何度魔法陣を稼動した?」
「三回だけど、連絡の手紙だけだから軽いもんさ。本番も大丈夫、いけるとも」
「頼む」
「魔法陣?」
 コトハは、問い返す。
「後で説明する。まずは球形地図を見てくれ。三百年ほど前の記録を見つけた。その時にも似たことが起こっている。一ヶ月ほど前から、トキホの真裏の都市から、妖魔(ヴァン)が出なくなっている。そのかわり、このあたりの都市に妖魔(ヴァン)が増えた」
 エドア=ガルドは、長い指し棒を使って、真裏の都市を中心に、くるりと円を描く。
「次には、この円上の都市から妖魔(ヴァン)が消え」
 真裏とトキホの中間、球形地図の外囲に沿って円を書いた。
「この円上に移った。それから妖魔(ヴァン)どもは、トキホめざして集っている。約一ヶ月をかけて、アスワード中の妖魔(ヴァン)が、トキホに向かっている、ということだ。勢い、他の都市の魔狩(ヴァン=ハンテ)は出動が減っている。昨日からの交渉で、今夜は他都市から増援を乞うことになった」
「増援? 船で、ですか?」
 コトハは、思わず、尋ねる。十七都市は、海に面したものが多い。一般に知られている交通手段は船だが、船で向かって間に合うはずもない。
「いや。移動に、魔法陣を使う。数百年前から領主が独占してきた術だが。今回の事態に、使わせてもらえるよう、交渉した」
 領主が独占してきた術を使って、他都市の魔狩(ヴァン=ハンテ)の増援を依頼する。トキホとエドア=ガルドに、これまで、電気技術の提供という貸しがあったからこそ、成った交渉だろう。
「皆も知っているとおり、トキホの住民は、妖魔(ヴァン)が家にまで取り付いたときには、地下に避難し、地上には火を放つ準備をしている。家屋の地上部は、火を放ったくらいでは崩れない構造をとるか、逆にすぐ再建できる程度のものしか建てていない。一軒や二軒なら、この方策は有効だが。三百年前、妖魔(ヴァン)の大襲撃があった際、炎が広がりすぎ、地下に避難した者が大量に窒息死している。今回は、街頭テレビを使って、火の使用の自粛を呼びかける」
「なぜ、そんなに妖魔(ヴァン)が集まるんです?」
 コトハは尋ねた。
「トキホの郊外に、妖魔(ヴァン)城といわれる場所があるのは、知っているな?」
「はい、噂は……。近づいたことはありませんが」
「三百年前は、妖魔(ヴァン)精霊(ア=セク)がそこで激突したらしい。……一夜の戦争だったという。戦争の前後は、妖魔(ヴァン)だけでなく、精霊(ア=セク)も、街を襲って人の霊力(フィグ)を吸ったそうだ」
「そろそろ約束の時間だよ」
 菓子を食っていた女が立ち上がる。
魔狩(ヴァン=ハンテ)さんたちも来るかい?」
「他都市の魔狩(ヴァン=ハンテ)たちは皆知るのだ。トキホの者だけ何があるのか知らないというのも、な」
「領主様方がそれでいいなら、私は別に構わないよ」
 話しながら、屋敷の庭に出ていく。屋敷の内側に抱き込まれ、外から見えないあたりに、それはあった。半地下に掘り下げられた空間はかなり広い。四×四の枡目が描かれ、その一つの枡目は大人が手を広げたくらいの幅と奥行きを持つ。一つ一つの枡目の内側には、竜鱗のかけらが嵌め込まれて、奇妙で美しい模様を描き出していた。全体の上には、建物の梁のようなものが掛け渡され、天井はない。梁を支える柱の一つには、大きなカラクリ時計が掛けられていた。
 ノワカは魔法陣の中心に立つと、時計の秒針をじっと見つめた。大きく腕を広げる、硬く拳を握る、奥歯を食いしばる。ふう、ふう、と、息づくたびに、肩が上下する。魔法陣の縁に立つコトハの目にも、だらだらと汗があふれるのが見える。
「あぁぁぁぁぁ!」
 持てる力を絞り出すように、ノワカが叫んだ。次の瞬間、魔法陣の上は、バイクと、霊武器(フィギン)を携えた魔狩(ヴァン=ハンテ)で満たされていた。一つの枡の中に二人か三人。それぞれが自分のバイクを支えている。
 十六の枡のうち、一つだけが空である。
 ノワカがふらついて、倒れまいとしてしゃがみこんだ。コトハは思わず駆け出して、ノワカを抱き起こす。さっきまでぽちゃぽちゃと太っていたノワカは、面変わりしていた。尋常に痩せた、のではない。風船から空気を抜いたように、肌が緩んで、垂れている。
「ああ、大丈夫だよ。数日内に、またこの人たちを送り返さないといけない、それまでには、体力だけはなんとかするからね」
 覗きこんだコトハに、にこり、と笑う。
「十七都市を支える異能は、魔狩(ヴァン=ハンテ)だけじゃないんだよ。……翔者(テレフム)が絶えてしまう都市も、無いでは無いけどね」
 空っぽの枡に目をやる。
 十七都市のうちの十六が一瞬で結ばれているのに、一つの都市だけが船の便しか持たない……、ことに近年、電気技術が急速に進歩するなかで、技術情報が遅いことが何を意味するか。想像して、コトハは、少し震えた。