異血の子ら

妖魔(ヴァン)城と精霊(ア=セク)宮II■

 贄を見せられたナズナが体調を崩して、以後。様子を見る、というのを言い訳に、サガはほぼ毎夕、ナズナを訪れるようになった。妖魔(ヴァン)が嫌う日光が消えてから、塔の部屋が漆黒の闇に塗られるまでの、短い時間、なにかしらを話して帰る。サガが帰るころには、室内の闇は、ナズナが室内を歩き回ることさえままならないほどだった。
 サガの訪問が続くと判ると、匠精(メト)が時間を見計らって、ナズナの白い長衣を洗いたてのものに着替えさせ、背の半ばまである茶色の髪を、真珠色の挿し櫛で結い上げてくれるようになった。ナズナは、自分が匠精(メト)の玩具にされていることは理解していたが、部屋には鏡がなかったので、自分がどう見えるかは知らなかった。匠精(メト)は美しいものを好む。匠精(メト)は、整った顔だちのサガと、囚われの身にふさわしい儚げな美しさに装わさせたナズナが並ぶのを、喜んでいたのだけれど、ナズナは気づいていなかった。

 サガは、さまざまな話をナズナに聞かせた。
「私は、異血(ディプラド)の娘が、心底から、妖魔(ヴァン)をノ=フィアリスへ渡したいと望まなければ、予言は達成できないのではないかと思っている」
 ナズナが妖魔(ヴァン)を知り、妖魔(ヴァン)が人の敵であるだけではなく、妖魔(ヴァン)なりの意味をもって行動している種族だと理解すれば、そのことがナズナの巫女の力を増すような気がした。
近接(タゲント)と呼ばれる現象は、およそ三百年に一度起こる。そのときに予言の娘が《門》を開けば、アスワードからノ=フィアリスへ渡ることができる。これまでも、ほぼ近接(タゲント)のたびごとに、妖魔(ヴァン)精霊(ア=セク)異血(ディプラド)の娘を用意し、《門》を開くことを試みてきたが、予言にあるほど大きな門を開いた娘はいないという。異血(ディプラド)を持つというだけで強いられて、儀式を成功させたいと望まなかった娘もいる。近接(タゲント)の戦の際に相手方の捕虜となり、無理やり儀式を行うことになった娘もいる。たとえば、先代の異血(ディプラド)の娘は、私の姉の子だった。力の強い妖魔(ヴァン)王の、孫娘にもかかわらず、近接(タゲント)の直前に精霊(ア=セク)の一党に攫われて、ごく小さな門しか開くことができなかったそうだ」
「先代の、異血(ディプラド)?」
 少し興味を感じて、ナズナは問い返す。
「よくは知らない。先の近接(タゲント)は私自身まだ幼かった上に、戦の混乱は、とりわけ激しかった……」
 ──『二のアヤカシは一となる。異血(ディプラド)を受けるもの、その母なる者の唯一の娘、近接(タゲント)の刻に門を開いて、望む全てをノ=フィアリスへ導く。アスワードは人間の世界となる。アヤカシの王の族、逝くを見よ』
 予言の全文を、サガはナズナに伝えない。予言が適うためには、ナズナの妹イズナと伯父オーリンを殺すことになることも。
 イズナが魔狩(ヴァン=ハンテ)の力を得たことも、話してはいない。ただ、魔狩(ヴァン=ハンテ)の武器の話はした。
「人族の魔狩(ヴァン=ハンテ)の使う霊武器(フィギン)は、鉄ではない。翡翠竜の角を使った武器は妖魔(ヴァン)精霊(ア=セク)を殺し、赤竜の角のものは妖魔(ヴァン)のみを殺す。竜角の武器で竜を傷つけることは難しいが、金属の武器を用いれば倒せる。人族は角を目当てに多くの竜を殺した。竜が滅亡に瀕するほどに。……母は、純血の翡翠竜の最後の一頭だ」
「それは、妖魔(ヴァン)が人を殺すから……」
 妖魔(ヴァン)は人を殺し、人は竜を殺す。そのことが、ナズナの身をすくませる。
「滅び行く、というものがどういう感触か、そなたには判るまい」
 といわれて、ナズナは否定できない。人は妖魔(ヴァン)に食われながらも、トキホの街では人口増の対策が毎年発表されるのだ。
「父……妖魔(ヴァン)の王は、私の母に、異血(ディプラド)の娘を望んでいたのだと言う者もある。私は、父の夢の残滓にすぎぬのだと。だが……、父が母に人の姿を取らせて、子を生したのは、もう一頭の翡翠竜が人族に殺された日だったとも聞く。母が、最後の翡翠竜になったその日だ」
 滅び行く種族の最後の者の、その孤独を埋めるためだったのだと、そう信じている口調で、サガは言った。
「なんだか……。ご自分が、父親の道具か、母親の道具か、とおっしゃっているように聞こえます」
 溜息とともに。言葉がするりと、ナズナの唇を滑り出て、ナズナは少し慌てる。なんだか言い過ぎた気がして。言い訳るように、首から提げた宝珠をそっと握って、言葉を続ける。
「母に言われたことがあるんです。『この宝珠はお前の道具、けれどお前は、誰の道具でもない。……そのことを、忘れないで』、と。今思うと、母は、私の力のことを知っていたのですね? 貴方は……、私のことも、妖魔(ヴァン)を異世界へ渡す道具の一部だと思っているのでしょう。でも私は道具じゃありません。自分の意思で、その役目を果たすことを選びます。そうでなければ。妖魔(ヴァン)の捕虜になっているよりは舌でも噛んでいます」
 すっと、サガが手を伸ばし、ナズナの(おとがいを掌で捉えた。指先が、軽く、唇をかすめる。
「そなたを、術で拘束することもできるのだぞ?」
「したければ、どうぞ。でも、さっきから言っているでしょう、いまここで死を選ぶ気などないと」
 ナズナは、妖魔(ヴァン)と竜の血を引く男に、真っ直ぐに視線を返した。
「存外に、情の(こわい」
 苦笑するふりをして、目を逸らしたのは、男の方……、かつてナズナの母に救われ、そして殺した、男の方だった。
「ラローゼに、……お前の母に、純血の竜と間違えられたことがあった。戦場だった。妖魔(ヴァン)の血の匂いが満ちていたから、私の妖魔(ヴァン)の匂いが判らなかったのかもしれないな。……ナズナ。そなたはラローゼに似ている。顔立ちよりも、表情と霊力(フィグ)の匂いが」
 サガは、そのとき、ラローゼに命を救われたのだ、とは、言わなかったので。ナズナは、サガが母のことを口にするとき不思議に優しい表情をすると思ったものの。それがなぜであるか想像すらできなかった。

 サガはまだ、継嗣ナムガと妹リュアが、イズナを狙い続けていることには気づいていなかった。妖魔(ヴァン)の王の膝元で、ナムガ・リュア・サガの手兵は、1日交代で、トキホに人を狩りに行く。アマルカンの爆威(エザフィグ)で同日に複数の犠牲者を出したこともあって、ナムガとリュアは派手な動きを避けてはいたが、自分の手兵にはかならず複数で出撃をさせ、妖魔(ヴァン)の耳にだけ聞こえる笛で連絡をとりあわせた。リュアは、ケドイから、手兵たちに、イズナの容姿を説明させて、深手でもよいからイズナを生け捕りにした者には褒章をとらせる、と、約した。

  ◆

 キラムは、毎日少しずつ、トキホの周囲を調べていた。人の住む町中には、精霊(ア=セク)はいない。もともと地霊(ムデク)の領分だから、地霊(ムデク)自身と、せいぜい地霊(ムデク)の恋人くらいしか住みつかない。近年は、電気もあるから、余計、他の精霊(ア=セク)は、都市に入りたがらない。
 精霊(ア=セク)は、アスワード全体にせいぜい千。そう密接して住みはしない。十数年前には、一番近くに住んでいたのは、樹齢のユキヌだったが。キラムのいない間に、トキホの中に本樹替えをして、死んだ。
 いま、トキホの一番近くのどこに精霊(ア=セク)が住むか、キラムは知らなかった。
 飛ぶのは、力が要るので、ピョンピョンと跳ねるような動作で、今日は北、今日は南、次はその間、と、調べてゆく。
 精霊(ア=セク)を見つけることができれば、ナホトカの行方がわかるかもしれない、と、思ったのだ。
 そして、その日は、とりわけ遠出をした。妖魔(ヴァン)の城を迂回し、その少し向こう側まで足を伸ばしたのだ。そこでようやく、精霊(ア=セク)の気配を感じた。
 近づいて大樹を仰ぐ。それは、樹霊(ジェク)の住む木だった。
「こんにちは!」
 声をかけてみる。
「こんちわ、珍しいな、小精霊(ミア=セク)だ」
 樹霊(ジェク)が木のなかから姿を現す。樹霊(ジェク)のほうも若かった。
「キラムってんだ」
「アジルだ。わざわざ声をかけてくるって、何か用かい?」
「ナホトカさまを知ってるかい?」
「トキホの守護精霊(ア=セク)だろう? 名前くらいは。あと、ユキヌさんの恋人だってことくらいは」
「ユキヌさま、亡くなったのは知ってる?」
「いや。……彼女の魂が平安ですように」
「で、そのときにナホトカさまも行方不明なんだ。噂でもいい、わからないかな?」
 アジルはかぶりをふった。
「ほんとに、ほんとに申し訳ないんだけど、おいら、とっても力が弱くて。探してもらえるととっても助かる」
 キラムの懸命さが、気のよさそうな若い樹霊(ジェク)を動かしたらしい。
「わかった。鳥や獣たちに聞いてみるけど、何か解ったら、どうやって知らせばいい?」
「おいら、いまトキホにいる。西の門の外にでも、印をかけてくれたら。おいら、毎日見るようにするから」
「わかった」
 キラムは知らない。アジルにディワという恋人がいること。ディワが次女王シェーヌと親しいことを。

  ◆
 
 イズナを後席に乗せたネルソン=ガロウが出動した先だった。妖魔(ヴァン)は二人を見るといきなり高度を上げた。高く高く、花火のように高く、地面から垂直に上がって行く。それからまた急降下して、獲物と見込んだ人間を襲い始めた。しかし、その挙動がどうもおかしい。本気で襲うというより、傷を負わない範囲で、魔狩(ヴァン=ハンテ)を足止めしているようにも見える。
 数分後。闇が増す中、数体の妖魔(ヴァン)が戦いに参加してきた。妖魔(ヴァン)に増援が現れるなど、ネルソン=ガロウの経験中で、初めてのことだった。そこにやっと装甲車が到着し、狙われた一般人を収容した。妖魔(ヴァン)は、獲物として狙っていたはずの人間を乗せた車のことなど眼中になく、ネルソン=ガロウの繰るバイクを襲ってくる。後席のイズナが防戦しながら退却、装甲車からの無線連絡で、コトハとアマルカンが合流し、ようやく妖魔(ヴァン)たちを諦めさせることができたものの。魔狩(ヴァン=ハンテ)としては前代未聞の事態だった。
 
 魔狩(ヴァン=ハンテ)たちは、詰め所に隣接する、エドア=ガルドの内屋敷に呼ばれた。エドア=ガルドは、街のはずれの電気柵に囲まれた外屋敷兼研究所のほかに、町中に領主として継いだ内屋敷を持つ。もともと、その庭だった場所を魔狩(ヴァン=ハンテ)の詰め所に提供したのだ。それだけでなく、カメラ班の設備、テレビを使った警戒網、連絡の無線などがどれも、電気王とも通称される彼の資産から援助を受けている。
 屋敷に通され、会議室へ入る。アスワードの球形地図をものものしく飾った大きな円卓がある。エドア=ガルドの正面にイズナを座らせ、アマルカンは隣の席についた。ネルソン=ガロウとコトハは、エドア=ガルドとイズナたちの間に席を占める。
「イズナが狙われているという話は聞いていた。魔狩(ヴァン=ハンテ)としての力があると知って、妖魔(ヴァン)どもは魔狩(ヴァン=ハンテ)が増えるのを嫌がってるのかと考えていたのだが。これは、どうみても、他の魔狩(ヴァン=ハンテ)への行動とは違う」
 エドア=ガルドが口火をきる。
「イズナが出るたびに、妖魔(ヴァン)に増援がくるようじゃ……」
 ネルソン=ガロウは、音を立てて舌打ちをする。
「悔しいが、毎回逃げきれる自信は、ねえ」
「しかし、一人の増員は大きい。魔狩(ヴァン=ハンテ)としてのスジも悪くない」
 アマルカンは、反論する。
「それは解るけど。とにかく未知の理由でつけ狙われているのよ? せめてその理由がわかるまで、出動は控えさせたほうが」
 そう言ったコトハにネルソンが反対する。
「どうやってそれが解ンだ? 妖魔(ヴァン)とっつかまえて尋問なんてできると思うのか? そんな生ぬるいことを言わずに、ここで白黒つけるべきだろ?」
「白黒って、なんですか?」
 イズナが、硬い声で口をはさむ。
霊武器(フィギン)魔狩(ヴァン=ハンテ)の詰め所に納めて、魔狩(ヴァン=ハンテ)を抜けろ」
 ネルソンは、野太い声で断言した。
「いやです。これは父のものだったと聞いています。詰め所に献じる義理はありません」
「ふん。こいつ、カイの……、裏切り者の子かよ」
「ネルソン」
 コトハが小声でたしなめるが、ネルソンは詫びもせず、腕を組んで押し黙る。
「あの頃は、まだ、詰め所の制度も始まったばかりで、カイは納得していなかった。ネルソン、裏切り者は言いすぎだ。……部下の非礼は、わしからも詫びるが、霊武器(フィギン)は詰め所に譲ってもらいたい」
 エドア=ガルドの目が、まっすぐにイズナを見る。イズナは、電気王の視線を、臆せず受け止めた。
「お断りします」
「イズナ。あなたの参加は、他の魔狩(ヴァン=ハンテ)の命を危険に晒す。判って言ってる?」
 コトハの声は、柔らかさを残している。
「そういうことなら、詰め所は抜ける。一人で戦います」
「バイクもなしでか? テレビに映ったあとで、とことこ走ってくるつもりか」
 ネルソンが吐き捨てた。
「テレビを待たなくても、花火が上がれば動ける。両親は、どうやっていたんですか」
「それが判らないのだ」
 エドア=ガルドの返答に、アマルカンは内心嘆息する。ラローゼがシズサの命を救うために何をしたか、カイから聞いた話を、アマルカンはエドア=ガルドに報告していない。カイ、シズサ、それにあの小精霊(ミア=セク)が、精霊(ア=セク)の術をもって即時に移動していたことを知っているのも、彼一人である。あの術があったから、詰め所との関係を絶っても、彼らは独自に魔狩(ヴァン=ハンテ)として活動できた。
 精霊(ア=セク)の血を受け継ぐイズナは、あの術を、少なくとも今のところ使えないようだ。だが、その能力がないのか、まだやり方を知らないだけで、必要に迫られれば使えるようになるのか。アマルカンには、判らない。
「カイとシズサは、独自に動いて、死んだ」
 アマルカンは、瞬時躊躇(ためらってから、次の言葉を口にした。
「イズナが詰め所を抜けるなら、私も共に抜ける」
 エドア=ガルドには恩もある。ネルソン=ガロウもコトハも、今まで共に戦ってきた仲間だ。その相手を、脅迫している自分を意識する。
 ネルソン=ガロウにしても、コトハにしても、アマルカンは先輩にあたる。動揺が走るのが、判る。自分の卑怯さに眩暈がした。それでも。ここで手を離せば、きっとイズナは失われる、と思った。カイの遺体を見たときのあの感情が、アマルカンの胸の底を噛む。
「なぜ……!」
 ネルソン=ガロウは、アマルカンに言いかけて。問うまでもないと気づいたらしい。イズナのほうに向き直った。
「なぜ、そこまで魔狩(ヴァン=ハンテ)にこだわる。復讐か?」
「緑の妖魔(ヴァン)に、もう一度会いたい」
 イズナは、即答した。
「緑?」
「姉を攫ったのは、緑の羽の妖魔(ヴァン)。姉は、生きている、私には判ります。姉をどうしたのか、聞きたい。緑の羽の妖魔(ヴァン)に会っても、何も判らなければ。……そのときは、霊武器(フィギン)は差し上げます。それまで、魔狩(ヴァン=ハンテ)として認めてください」
 イズナのつけた条件に、コトハとネルソンの視線が、エドア=ガルドに集まる。
「ここが妥協の限界らしいな。アマルカンとイズナは、当分、出動の優先順位の最後に回す。物見櫓が緑翼を報告してきたら、そのときは最優先で動け。ネルソン=ガロウとコトハは、職場のほうに調整を入れておく。昼の仕事は早めにあがって、詰め所に入ってくれ。ただし、緑翼は今まで三度しか報告に上がって来ていない。花火を上げる隙を与えない巧妙な妖魔(ヴァン)か、もともとは他都市にいるかだ」
「わかりました。発見できるまで、もちこたえたいものですね。でも、イズナ。気が変わったら、……魔狩(ヴァン=ハンテ)を抜ける気持ちになったら、そのときは教えてね」
 コトハは頷き、ネルソンは動かない。
 エドア=ガルドの提案は、実質、コトハとネルソン=ガロウに大きな負担がかかる。目の前にいる人間の負担を見る内に、イズナの気持ちが変わらないとは限らない。コトハは、そう思っているようだった。だが。アマルカンは内心、それはないだろうと思う。そういえば、カイも頑固だった。
 そして、同時に、エドア=ガルドが出した条件は。アマルカンの言葉の撤回を迫る意味合いも、感じている。「イズナが詰め所を抜けるなら、私も共に抜ける」 その条件を、今、取り下げていいのか。アマルカンは迷う。アマルカンは、エドア=ガルドが目的のためなら、手段を選ばない人間であることを知っていた。ただ、(わたくしの欲を目的とはしないから、領主として支持されているだけだ。──イズナにこれ以上の圧力をかけないとも限らない。
「ネルソン? ことは決ったんだから。変に蒸し返してゴネたら、……そのときは知らないわよ?」
 コトハは、ネルソンの背中を柔らかく押しながら、会議室を出てゆく。
 イズナが、きょとんとした。
「ああ。あの二人は一緒に暮らしているんだ」
 アマルカンは、そこまでは教えてやった。こんなとき、女が何を盾にとって男を御するかを口に上らせるには、イズナは子供すぎる。


 ◆

妖魔(ヴァン)の子を見てみる気はないか」
 サガの問いは、ナズナには唐突に響いた。
 色々なことを話していれば、ナズナが可愛いものや子供に惹かれることは判ってくる。それゆえのサガの問いかけだったのだが、ナズナは案の定、興味をもったようだった。
「子供がいるのですか」
「人間ほど多くはないが、この城にも子供はいる。私は、巫女としてのそなたに、力を乞うために、そなたには、妖魔(ヴァン)というものを知ってもらいたい」
 ナズナとて、妖魔(ヴァン)が、人の子でも動物でもないことは理解していたが、好奇心は動いた。
「見て、みたいです」
 サガは頷いて、ナズナを両手に抱き上げる。ナズナは、いまだに思わず硬くなるが、妖魔(ヴァン)の子供への興味に負け、サガの首うしろに手をまわした。サガはそれに頓着もしない表情で翼をはばたかせる。ふわりと空に浮き、バルコニーの手摺りを越えて、なめらかに降下に転じた。
 サガは、霊力(フィグ)を広げて、子供たちを探す。精霊(ア=セク)に子供が生まれなくなっているという噂は妖魔(ヴァン)の間にも伝わっていた。だが妖魔(ヴァン)の間では、子供が生まれている。それを、アスワード世界が、妖魔(ヴァン)を生き残るべきアヤカシとして選びつつある予兆と捕らえる者もあった。だが、精霊(ア=セク)の王妹ラローゼがわずか2年のあいだに二人も子を得たということは、人の生命力の強さを語っているような気がした。つまり、妖魔(ヴァン)が子を生めるのは、妖魔(ヴァン)が選ばれし者だからではなく、人を喰らうことで人の生命を得ているせいなのではあるまいか、サガはそう感じたのである。
 かつて匠精(メト)がいたずらに複雑に作った、迷路のような街路の物陰に、子供たちは、いた。妖魔(ヴァン)が嫌う陽光はまだ落ちきっていないのに、退屈に耐えかねて遊びに出てきたのだ。
 この城に、妖魔(ヴァン)の人口は四十人程度。子供たちはこの二人だけだ。ふわりと柔らかな灰色の髪の女の子と、少しだけ大きい黒く硬い髪の男の子。兄妹ではないのだが、子供の数が少ないだけに、遊び相手は互いしかいない。仲良げに寄り添って遊んでいる。
 ナズナは、子供たちの姿を見て、内心驚いていた。妖魔(ヴァン)の子供は、小精霊(ミア=セク)にそっくりだ。細く伸びた触角、足には蹴爪、小さな牙が口元から覗いている。幼いころに遊んだキラム、父母の死と共に姿を見せなくなったキラムを、いやもおうもなく思い出す。ただキラムと違い、小さな黒い翼があるのだが、そのサイズもヒ弱げな形も、子供たちの体重さえ支えきれそうにない。サガとナズナの姿に驚いた拍子に、ぱたぱたとはばたいても、小さな体は浮きもしない。
「王子さまが、狩人なさったのですか?」
 小さい女の子が無邪気な様子で尋ねた。
「今日は、怪我のない獲物なのですか?」
 男の子のほうは、獲物の苦痛も、自分たちの食餌の一部であることを、理解している口調だった。
──ああ、この子供は自分を妖魔(ヴァン)の餌として捕らえられたと勘違いしているのだ。
 ナズナは気づく。
 サガは、意外なほど厳粛な口調で、
「この方は、妖魔(ヴァン)をノ=フィリアスへ導いてくださる、異血(ディプラド)の巫女殿だぞ」
と子供らに告げた。
「あまり失礼なことを言うと、お前たちだけ、アスワードに置き捨てだ」
 サガは声の調子を保っていたが、その奥に笑いが隠れているのを、ナズナは聞き取った。
──この王子でも、子供をからかったりするんだ。
 子供は少ない、といったのも思い出す。妖魔(ヴァン)の城では、子供はいわば共有の宝物なのだ。
 だが、子供たちは、王子にからかわれているとは思わなかったようだ。
「ご、ごめんなさい」
 女の子は、狼狽で顔をくしゃくしゃにし、男の子は固唾を呑んで女の子とサガとナズナの顔を順番に見ている。年嵩の男の子も不安げなのが、女の子をさらに動揺させたようだった。
 女の子が、男の子の手をぎゅっと掴む。男の子が、こくんと頷いた。
「あの、これ、これを巫女さまに差し上げますから。私たちのこと、許してください」
「僕が、使ってない建物で見つけたんです。だから、これで……」
 女の子は、自分の首から提げていた、何かの細工物をナズナに差し出した。話の流れからして、男の子のほうが見つけて、女の子にやったものなのだろう。ナズナはどうしていいか分からず、サガの表情を確かめた。
「もらっておけ」
 小さくぞんざいに、サガが言う。
「ありがとう」
 手のひらに細工物を受け取る。受け取ってもらえたことで、許してもらえたと判断したようで、子供たちの顔に、ぱっと笑顔が咲いた。笑うと、八重歯の子供のように愛らしい。
 思わず微笑えんでしまってから。ナズナは小さく動揺する。これも妖魔(ヴァン)なのだ。大人の妖魔(ヴァン)が狩った人を食べて育ち、育てば自分も人を狩る。……アスワードに居る限り。
 しゅんとしたナズナを、サガは元のように抱き上げ、飛翔して塔に戻る。
「そなたは、我らの、予言の巫女。導いてくれるな?」
 翼が風を切る音に混じって、サガの囁きがナズナのすぐ耳元に聞こえる。
──このために。この人は私にあの子たちを見せたんだ。
 退屈を慰めるためであるわけがない。わずかに軋む心で、それでもナズナは、サガに頷いて見せた。
──妖魔(ヴァン)がノ=フィリアスに渡りさえ、すれば。あの子供たちはもう、人間の敵じゃなくなるんだわ。
 ナズナはまだ、予言の全文を知らない。異血(ディプラド)の娘が妖魔(ヴァン)をノ=フィリアスに導くことが、母の一族、精霊(ア=セク)の滅亡を意味することを理解してはいなかった。
 翌朝。匠精(メト)が満面の笑みで、幼子たちの贈り物をナズナに指しつけた。受け取ったときは、子供がどこかから拾ってきたというだけあって薄汚れ、適当に紐でくくって首から下げられるようにしてあったのに。一夜のうちに匠精(メト)の手で、表は煌くほどに磨きあげられ、裏には留め具を新調されていた。匠精(メト)は、ナズナの腰に布帯を巻いて、新しい飾りで留めつけた。匠精(メト)は、ご満悦の表情で、ナズナを仰ぎ見たが。
 ナズナは、なにか巧妙に縛られた気がした。