異血の子ら

■初陣■

 領主の屋敷の隣、詰め所は日中、人の気配がなかった。イズナは、自分が剣を呼んだところを他人に見られた服装、つまり高校の制服を着て、剣を背にかけて、詰め所に入る。
 被害者として慌しく招きいれられた夜と違い、日中で明るく、精神的にも余裕がある。
 見回せば、昔、厩だったらしき場所にバイクが3台。トキホの伝統の白壁と黒瓦の建物は、エドア=ガルドの進める近代化の象徴ともいえるバイクをも、受け止めて凛とした佇まいである。
「こんにちは。すみません、すみません!」
 大きな声を出すと、
「はい」
 と答える声がして、ぱたぱたと足音が近づいてくる。ぷくりと丸い顔をした女が、顔を出した。若いというか、中年というか、迷うくらいの年齢である。
「ああ、イズナさんだね、《蒼》から聞いてるよ。私は、ノワカ。魔狩(ヴァン=ハンテ)の御方たちの世話係をしてる。困ったことがあったら、なんでも相談しとくれ」
 イズナの肩にふくよかな手を添えて、詰め所に招き入れられる。
「こっちが、女性の着替え所、《琥珀》が使ってる、イズナさんもここを使ってもらう。あっちは、男性用、《蒼》と《黒》の」
 詰め所の奥を通りぬけて、その裏手は領主の館につながっていた。
「領主様がお待ちだ」
 ノワカに促されて上った屋敷の三階には、領主エドア=ガルドが待っていた。賓客のように、領主と卓をはさんで座らされる。
「イズナ、というそうだな。失われていた朱の竜剣を呼びよせた、と」
「はい」
 イズナを見つめる領主の目は、厳しい。
「ご両親の名は」
 カイとシズサ、と答えかけて。イズナは少し用心をする。両親は、詰め所を信頼していなかったはず。そして領主は、詰め所の最高責任者でもある。
「両親は早くになくして、祖父母に育てられました。祖父はナホトカ。祖母はユキヌ。姉の名はナズナです。祖父と姉は行方不明、祖母は亡くなりました」
 エドア=ガルドは、家族を亡くしたばかりのイズナに、両親の名を重ねて問うことはしなかった。
「剣を見せてもらえるか」
 卓の上に剣を置く。エドア=ガルドは目を近づけて、鞘に施された細かい彫刻を検分すると、おもむろに鞘と柄に手をあてた。抜こうとしているのが、見てもわかる。かなり力を入れているのに、鞘は抜けない。領主の老いた顔が一瞬、苦痛に歪み、イズナは病気の発作か何かかと腰を浮かしかけた。
「すまない、他人の霊剣を抜こうなど、年寄りが無理をするからこうなる」エドア=ガルドは、自嘲の笑みを浮かべた。「抜いて見せてくれ」
 イズナは、すらりと剣を抜いた。剣はきらきらと光を撒いた。エドア=ガルドが、確認した、と、頷いた。イズナは、剣を鞘に収める。
魔狩(ヴァン=ハンテ)の職分は、いろいろな意味で厳しい。覚悟はあるのか」
「幼い頃から魔狩(ヴァン=ハンテ)になりたいと思ってきました」
「そうか。わしもかつては、魔狩(ヴァン=ハンテ)の力を持っていた。後継を得て、手放したがな。わしのことは同じ詰め所の魔狩(ヴァン=ハンテ)仲間と思ってくれてよい。魔狩(ヴァン=ハンテ)として必要なものがあれば、いつでも言ってくれ」
 エドア=ガルドは、今度こそ本物の笑みを浮かべた。嬉しげに。
 その瞬間、イズナは思い出した。どうして忘れていたのか、理解できないほどの鮮明さで。幼い日。イズナはこの剣を抜いた。子供の玩具ではない、と、ひとしきり叱った後で、父が笑みを浮かべた。ちょうど、今のエドア=ガルドのような、満面の笑みを。
──「お前は、みんなを守れる子になる」
 今ならわかる。あの日、父は知ったのだ、幼い娘が自分の後継者であることを。その直後だったはずだ、剣道の道場に通うことになった。道場で最年少だった。
「はい。子供のころから、ずっと、魔狩(ヴァン=ハンテ)になりたいと思っていました」
 イズナは、強い口調で、繰り返した。
「呼称は、《朱の竜剣》でいいのか、アマルカンからはそれがいいのではないかと。たが、その名は、その鞘の前の持ち主の名で」
「はい。それで」
 エドア=ガルドは、片頬に笑みを刻むと、まあいいだろう、と、頷いた。

魔狩(ヴァン=ハンテ)の装束を仕立てて、バイクも頼まないとね。採寸させてもらえるかい?」
 ノワカは、詰め所の着替え室でイズナの袖たけなどを計りながら言う。
「どれくらい、かかりますか」
「時間かい? 装束は数日だけど、バイクは、いま1ケ月くらいはかかるんじゃないかな」
「それまで戦闘には出られないんですか」
「誰かと組むなら、バイクは、最初は無しでもいいかもしれないけど」
「服はこのままではいけませんか、早く戦いに出てみたい」
 そして、もしも緑翼の妖魔(ヴァン)と出会ったら、姉の行方を問いただしたい。イズナは内心、そう思う。
「制服? 学校のかい?」
「学校で、霊剣が現れる瞬間を、剣道部の仲間に見られています。いまさら隠しても……」
「ちょっと待っておくれ。領主様に聞いてくる」
 ノワカは、ことことと音を立てて奥へ消え、ほどなく戻ってきて、
「領主様は、それでいいって。名前を隠さずに活動する魔狩(ヴァン=ハンテ)も、他都市にはいらっしゃるんだってさ」
 船で数週から数ヶ月かかる他都市とよく情報を交換しているものだ、と、イズナは思う。
「職を探すとき、別の名前が使えるようにしてくださるそうだ、仕事につきたくなったら教えておくれ」
 ノワカはにこにこしているが。それは、都市のすべての役所の長である領主にとっては、戸籍を作り直すなぞ、朝飯前なのだと言うことで。その権力に、イズナは少し、気おされる。
 魔狩(ヴァン=ハンテ)の印である半仮面だけは、仮のものをもらうことに決めて、それを試したりしているところに、他の魔狩(ヴァン=ハンテ)たちが集まりだした。
 イズナは、アマルカンから、《黒の重斧》はネルソン=ガロウ、《琥珀の双剣》はコトハ、と、紹介された。女魔狩(ヴァン=ハンテ)のコトハは陽気に、
「よろしくね」
と笑っているが、巨漢の男ネルソン=ガロウは無愛想だ。コトハから、
「そんな不機嫌な顔してちゃ、イズナだってますます緊張するじゃないの。もうちょっと愛想よくしなさいよ」
などと揶揄口調で言われて、ますます表情を硬くしている。
 早く戦いに出たい、というイズナに、
「私と組むなら」
とアマルカンに条件を出されて、イズナは呑んだ。アマルカンはいやだ、と、主張すれば、理由まで明かす必要がある。樹霊(ジェク)に育てられたこと、アマルカンがその樹霊(ジェク)を殺したこと。なぜ、樹霊(ジェク)に育てられたか、つまり、シズサとラローゼという二人の母の仔細全部を。コトハとネルソン=ガロウがどう反応するかは、まだまったく判らない。
 アマルカンが低く告げる。
「戦闘に出る前に、ひとつ、言っておく。その赤竜の剣は、魔狩(ヴァン=ハンテ)が使う他の霊武器(フィギン)の中でも特殊だと聞く。妖魔(ヴァン)霊力(フィグ)を吸いとり、使い手に戻す作用があるのだそうだ。昨日のように複数の妖魔(ヴァン)が出る事態には、役に立つこともあるかもしれない、一応伝えておく」
 イズナが張り詰めた表情で頷いたとき。癖のある音でブザーが鳴った。
「街の東に、妖魔(ヴァン)報せの花火です」
「どうする?」
 ネルソン=ガロウが、アマルカンに問う。
「イズナと出る。正確な位置を」
 アマルカンは、きっぱりと答え、半仮面をつけながら、席を立つ。イズナも続く。
 待機室の扉を開ければ、バイクが止めてある。日中、係りの者がきちんと整備しておいてくれている。アマルカンはバイクにまたがる。
「私の後ろに乗るか、カメラ班と一緒に装甲車に乗るか、決めろ」
 カメラ班の車は、狙われた者の保護用を兼ねている。厚い鉄板を装備して重く、バイクより遅い。イズナは黙って、噛み締めた表情で後ろにまたがって来た。
「後席のすぐ前にバーがある。片手はそれを握れ。もう片方の手は、私の胴に回してベルトを握っていろ。走り出すと爆音が大きい。指示が聞こえたら、必ず返事を」
「……はい」
 無線のブザーが鳴って、連絡が入る。
「花火の位置です。東、第七電気塔外、放電柵と直行する道を、バイクで三分」
「了解した、装甲車、万一イズナを降ろすことになったら、後から拾ってやってくれ。……イズナ、バイク出すぞ。ベルト、しっかり握れ」
「はい」
 走り出す。イズナは腹を決めたらしい。片手をアマルカンの身体にまわし、片手はシート脇のバーをきちんと握って、加速に耐えているのが、解る。
 速度とともに爆音も上がる。
「体を右へ」
 カーブの前、叫ばなければすぐ後ろに届かない。
「はいっ」
 普通の素人は、体を傾けるのを怖がるものだが。ずっと魔狩(ヴァン=ハンテ)になりたかったらしいイズナは、テレビに映るバイクの挙動も観察していたのだろうか、恐れ気もなく指示に従う。
 アマルカンも、後ろに人を乗せるのに慣れてはいない。褒めてやる余裕はなかった。
「花火、追加は?」
「あり…ません」
「了解。最初の位置に向かう」
「わか…り…ました」
 爆音のなか切れぎれの、無線を交わす。
 放電柵の門をくぐり、街の外へ出る。まもなく、何度も急降下を繰り返す妖魔(ヴァン)が見えてきた。帰宅が遅くなった農民らしい、鍬を振り回し、必死に防いでいる。
「止めるぞっ」
「はい!」
 アマルカンが制動をかけ、バイクを止める隙に、イズナは飛び降りるようにして駆けて行った。

 詰め所の待機室にも、テレビはある。
「あー……」
 画面を見ながら、コトハが妙な声を出した。
「ん? なんだ」
 ネルソン=ガロウが見る限りテレビの画面の中は、特段の異常はなく、単に、アマルカンがメインに妖魔(ヴァン)と戦っているのを、遠くから映しているだけだ。いつもどおり、カメラは刻々と現場に近づいてゆく。
「イズナが、被災者と距離を取りすぎ、か?」
 魔狩(ヴァン=ハンテ)は、襲われている側を被災者と呼ぶ。
「え? アマルカンが、イズナを無視しすぎじゃない? イズナは気が逸って、前に出たがってるのに」
「何言ってるんだよ、二人戦で先太刀が前に出たら、も一人は被災者に寄って、安心させてやんなきゃ。二人戦って、そういうもんだ」
「んー」コトハは不承不承頷いたが。
「でも、イズナは私とおなじで、そんな昔のことは知らないんじゃないかなぁ」
「なんだよ人を年寄りみたいに」
「いえいえ、歴戦の勇者として、ご尊敬申し上げておりますとも」
 コトハはつんと顎をあげて、にやりと笑ってみせる。
「まったく、そうは見えねぇな」
「あら、ばれた? 私ってば、根が正直者だから、ごまかすのが下手で」
 ころころと笑うコトハに、ネルソン=ガロウはため息をついて黙る。
 カメラの位置はすでに現場に近い。まるでテレビのこちら側の会話が聞こえたかのように、アマルカンが引いて、イズナに戦闘の場所を譲る。イズナは露骨すぎる配慮にいらだった表情で前に出て、妖魔(ヴァン)に剣をつきあげる。そこに装甲車が走りこんで、被災者を無事に保護し、放送は終わった。

 イズナのいらだちは多少感じていたものの。促すほどのこともなく、帰路のバイクの後部座席にまたがって来たので、アマルカンはさほど気にしなかった。バイクのエンジン音が轟いている間は、その音のせいで会話は困難だし、運転しながらは顔も見えない。詰め所に戻り、二人バイクを降りたところで、イズナの顔を見てやはり不満があったらしいと思った。
 最後の一太刀しか譲らなかったのが不足だったのかもしれないと思いついて、アマルカンは練習用の武器の棚に歩みより、イズナの霊武器(フィギン)に重さを合わせた練習剣を渡してやる。自分も鉄の長刀をとった。
「動き足りないなら、相手になるぞ」
 すっと、イズナの顔に怒りの色が刷いた。
 ヤケっぱちの勢いで、打ち込んでくる。とっさに剣を上げ、受けることはできたが。練習というより襲いかかるという勢いだ。アマルカンの側は、イズナを攻撃する気はなく、ひたすら受けに徹してイズナを発散させてやろうと意図したのだが、アマルカンが攻撃してこないと気づくと、イズナの怒りはかえって増したようだった。太刀筋が粗暴になる。避けるか、長刀で受けるかは可能だが、アマルカンは今日イズナよも長時間霊武器(フィギン)を使っていた。その疲労感に、イズナの速度感のある攻撃への対応が重なって、先に息を乱したのはアマルカンのほうだった。
「なに二人きりで楽しんでるんですか? 混ぜてくださいよ」
 すっと、コトハが二人の動線に割り込んだ。
「遊んでないです、べつに」
 イズナが小さく答えるのをするりと聞き流して
「どうしちゃたんです、アマルカン、今日はイズナの初陣だったのに、戦闘じゃまるで無視だったじゃないですか」
 どこかわざとらしい台詞まわしで、コトハが言う。
「そりゃさっきテレビみてる最中に説明しただろうがよ」
 コトハの芝居っぽさにくらべて、ネルソン=ガロウの不機嫌は本物のようだ。
「えー、なんだっけぇ?」
 答えるコトハの目がいたずらっぽくきらめいている。
「だーかーらー、二人戦てのは、一人が襲ってきた妖魔(ヴァン)と戦ってもう一人が襲われた被災者を逃がすのに集中するんだよ。どっからどう見たってアマルカンのほうが経験値上なんだから、初陣だなんて被災者から見たらどうでもいい理由でイズナを前に出せるわけがねえだろ」
「そんなことわかってます」
 イズナが低く、けれど、ぴしりという
「判ってるならなんなんだよ」
「判ってるのに、何も判ってないみたいな言い方をされて、ちょっと」
 自分でもやりすぎたと思ったのか、イズナは小さな声で答えて下を向く。
「……今のこれは関係なく」イズナは身振りで練習剣を指した。「明日は自宅に戻ろうと思います。マイヤさんには、今日説明しておきます」
 イズナは、一方的に言って、着替え所に戻り、すごい勢いで男の子の服に着替えて、アマルカンの家の方向に帰って行く。
 呆れた目で、それを見送るネルソン=ガロウと、むしろ面白がって見えるコトハ。アマルカンはといえば、ため息しか出ない。
「なんです、あの子。まるで、アマルカンが親の仇みたいな勢い」
 養母ともいえるユキヌを殺したのだから、まさにそうなのだが。アマルカンは苦笑してしまい、
「言ったろう、爆威(エザフィグ)であの子の家を焼きかけたんだ」
 苦しい説明で、自分の苦笑をごまかした。
「アマルカンのこと、名を呼ばないのね。……アマルカンとも、《蒼》とも呼ばない」
「そうかな。そうかもしれない。おそらくまだ距離感を量りかねているのだろう」
 イズナが自分を恨んでいることは仕方ないと、アマルカンは思っている。
 爆威(エザフィグ)は、もしも制御しおおせれば強力な戦闘力となろうが、霊武器(フィギン)精霊(ア=セク)から直接授けられた一代目の魔狩(ヴァン=ハンテ)を除き、それを意のままに呼べた魔狩(ヴァン=ハンテ)はいない、と、魔狩(ヴァン=ハンテ)の祖父から聞かされていた。一人の魔狩(ヴァン=ハンテ)の一生に、一度起こるか起こらないか。アマルカンもまた、自ら望んで呼んだものではなかった。
 だがそれをイズナに話したところで、おそらく言い訳にしか聞こえないだろう。大樹と樹霊(ジェク)の関係までは予測不可能だったとはいえ、樹が倒れたり発火したりの惨事になっていた可能性もあった。目の前でミナセという少女を惨殺され、怒りの感情を制御しきれなかったのは、自身の非、という認識が、アマルカンには、あった。
 そんなことを思いながら、帰宅したアマルカンは、妻マイヤの困った顔に迎えられた。妻マイヤと息子マキサ、それにイズナが食卓を囲んでいるのだが。イズナは硬い表情で、マイヤはなんとも困った顔だ。
「アマルカン。イズナがどうしても家に戻りたいというの」
「独りで住まうのは、無用心ではないか?」
 そう答えながら。マイヤに対して、イズナは何を言い訳にしたのだろう、と、いぶかしむ。
「それがね、お友達と住みたいんですって。男の、方と」
 マイヤの困り顔をようやく理解する。
「友達? ……男の、か」
「恋人、なの?」
 世界で一番聞きにくいことを聞くような顔で、マイヤが言った。
 イズナは、目をそらす。
「子供の頃からの……」
「幼ななじみなの?」
「まあ、そんな感じというか。でも、二人で住むわけじゃなくて、友達と、彼の知り合いの大人の人と、ですから」
 黙っていたマキサが、ぼそっと口をはさんだ。
「母さんが父さんと結婚したの、いくつだよ」
「それは……十六だけど」
「イズナ、十五だろ。1年しか、違わないじゃないか」
「十六と十五はずいぶん違うわよ」
「十六のときの母さんより、いまのイズナのほうがしっかりしてそうだけど」
「まあ、ひどい」
 ここで、うっかりアマルカンは笑ってしまった。マイヤはもっと愛らしかった、と、内心思うのだが、口に出したら、息子の失笑と、イズナの呆れ顔を呼びそうなので、黙っている。
「ご心配いただいたのは感謝します。でも、明日、帰ります。……決めたので」
 誰も口をはさませない口調で、イズナが言って。この件は、イズナが押し切った形になった。

  ◆
 
 精霊(ア=セク)の次女王の称号もつシェーヌが精霊(ア=セク)王宮で暮らすようになって、十八年。シェーヌの精神年齢は、人間の十台半ばといったところ。さすがに霊力(フィグ)を暴走させるようなことはなくなったが、オーリンとシェーヌが二人きりで修行の時間を取るのは今も習慣になっていた。もっとも、今となっては。王と次女王が、予言や来るべき近接(タゲント)に備えて古い記録を学ぶに際し、人払いをする言い訳と化している。
 その性が残酷で激しい妖魔(ヴァン)は、個と個を比べれば精霊(ア=セク)よりも戦に強い。精霊(ア=セク)の側は、戦の度に王を討たれていた。もっとも、戦として劣勢だからといって、近接(タゲント)の刻のその瞬間に、異血(ディプラド)の娘とノ=フィアリスへの門を手にしているのが妖魔(ヴァン)であるとは、限らなかった。
 異血(ディプラド)の娘は、ノ=フィアリスへの門を開き、二十、三十という数の、精霊(ア=セク)妖魔(ヴァン)をノ=フィアリスへ渡している。ただし、先の近接(タゲント)……約三百年前……のみ、《門》が開いた瞬間を目撃した報告がなく、渡った人数の記録がない。妖魔(ヴァン)が急に減ったという事実はないから、そう多くなかったということしか推測できていない。これまで、予言がいうように妖魔(ヴァン)精霊(ア=セク)のどちらか全員が渡れるほど、巨大な門を開いた例はないのである。
 シェーヌを怯えさせたのは、精霊(ア=セク)の数だった。
 妖魔(ヴァン)の数は、古くからほぼ四百。人族は、長く安定していたが、近年は増加傾向にある。
 対して、精霊(ア=セク)の数は。記録によれば、いにしえの精霊(ア=セク)は今の倍もいて、巨大な城を築いた。その城は、九百年前の戦で妖魔(ヴァン)に奪われ、今は妖魔(ヴァン)王の居城となっている。
 記録を追うと、精霊(ア=セク)の数は、時を経るに従って暫減していた。現在の精霊(ア=セク)は、風・樹・地・匠をあわせて千足らず。
「戦争で死んだ数が、戦争のない間に、取り戻せてない……」
精霊(ア=セク)は子を産む数が少ないからな」
 精霊(ア=セク)はわりに簡単に恋をするのだが、子供はなかなか生まれてこない。意志をもって産まない、のではない。生まれてこないのである。
「死を招くだけなら、なぜ戦争をする?」
「《ノ=フィアリスの門》を奪うためだ」
 オーリンは即答する。
「オーリンは! オーリンは本当に、千もの精霊(ア=セク)が渡るほどの大きな門が開くと思っているのか?」
「どうだろうな……。いままでの異血(ディプラド)の娘で、そこまで大きな門を開いた者はない」
「どんな異血(ディプラド)の娘なら、予言を適えるんだ! 血か? どんな種族の、どんな血なら、それだけの力を呼ぶ?」
 言い募ったシェーヌは、オーリンが目を逸らすのを見た。
精霊(ア=セク)王の王子と妖魔(ヴァン)王の王女の間に異血(ディプラド)の娘が生まれたことがある。それでもそんな大きな門を開くことはなかった」
 その記録はまだ目を通したことがない、と、シェーヌは頭のすみに書き留める。後で探しておこうと思った。
「ならば……、どうして戦争に赴くんだ」
「『アスワードは人間の世界となる。』」オーリンは予言の一部を繰り返す。「何もしないで滅びを待つことはできない」
「何で予言を信じるんだ。滅びなんてどこにも見えないじゃないか」
 オーリンが、珍しく、困ったような顔をする。
「一部の地霊(ムデク)は、電気が精霊(ア=セク)を滅ぼすと言っている。あれは近く寄ったときに不快というだけではなく。遠くても精霊(ア=セク)に目に見えぬ影響があるものだと」
「だったら、人間の都市など、壊してしまえばいい」
 オーリンは、かぶりを振る。
地霊(ムデク)は人間と親しい。風霊(ウィデク)である王が人間の都市の破壊を命じれば、精霊(ア=セク)同士の対立になる。それに、彼らの言うところによると、電気を無くしてしまうと、世界が壊れるらしい。……世界はすでに震えているという」
「その話は聞いたことがあるけど。理解できなかった。オーリンは解ったのか?」
「いや」
 それは地霊(ムデク)の感覚でのみ感知できるものであるようで。風霊(ウィデク)であるオーリンには、全く感じとることができなかった。……それなりに強い霊力(フィグ)を持つにもかかわらず。
「予言が、罠だとしたら?」
「罠?」
精霊(ア=セク)を戦の場に引き出すための、妖魔(ヴァン)の罠だとしたら?」
「なんのために」
 シェーヌはちょっと考える。
「殺し合いが好きなんだ、たぶん。精霊(ア=セク)が祭りの日に、歌ったり踊ったりするのが好きなように」
 そのとき、オーリンは、否定も肯定もしなかったが。全く別の話をしはじめた。
「今、人間の都市は十七ある。それぞれに領主がいて、ゆるやかな協力体制……都市同盟というものを組んでいる。この盟主が、エドア=ガルドという男だ」
 およそ二十年前。オーリンはラローゼの体を借りて、この男と直接の交渉に臨んでいる。ただし、理由は、ラローゼが推測したように、電気が不快だから、というものではない。地霊(ムデク)と親しいラローゼを交渉の役に立てたほうが、地霊(ムデク)を説得しやすかったからだ。竜を助けたうんぬんなど、単なるこじつけである。
「エドア=ガルドはなかなか厄介な交渉相手で、精霊(ア=セク)から情報を引き出そうとするわりに、人間の側からはなんの言質も与えなかった。だが、人間の寿命は短い。この男が死んだら、再び、人間と交渉する価値があると思う。精霊(ア=セク)の魔具を妖魔(ヴァン)から人を守るために提供してやり、代償として、電気がいっさい入らない《聖域》を設けさせる。エドア=ガルドが死んだ時に、私がいなくなっていたら、シェーヌ、お前がなせ」
 シェーヌは、目を瞠り、それから、頷いた。
「わかった。もしも、オーリンがいなかったら、私が」
 近接(タゲント)の後のことを、現王の死が実現しない可能性をもって、オーリンが語るのは、初めてで。
 これまでも、予言を信じない精霊(ア=セク)は、いた。しかし、予言を信じないという者が王位にいるのは、予言がアスワードにもたらされて以後、初めてのことだったのである。

 ◆

 イズナ以外の魔狩(ヴァン=ハンテ)には、昼の勤めがある。学校を休んでしまっている分、イズナは他の魔狩(ヴァン=ハンテ)より、早く詰め所に入ることができた。
 建物の裏には石敷の中庭があって、妖魔(ヴァン)を知らせる花火が少なかった日は、魔狩(ヴァン=ハンテ)たちは、鍛練のために練習剣を振るったりもする。ただし、そんな日は、人が花火を上げる隙もなく妖魔(ヴァン)にさらわれていたりするので、特にめでたい気分はない。
 誰もいないのをいいことに、イズナは、練習剣を抜いてみた。本来、練習は出撃の前にはしないのだが、イズナは見習いで、バイクを運転しない分、負担も軽い。
 前日のアマルカンの動きを真似て見る、動きを妨げるはずの長剣を扱いながら、鮮やかに妖魔(ヴァン)の攻撃を避ける身体のこなし。
「こう、かな」
 小さく呟いて、剣を振るいながら、くるり身を翻してみる。
 魔狩(ヴァン=ハンテ)は、時には妖魔(ヴァン)を倒すことがある。だが一番の優先順位は、狙われた被災者を守りきること、二番目は魔狩(ヴァン=ハンテ)自身が無事に戻ることだ。魔狩(ヴァン=ハンテ)が負傷すれば、傷が癒えるまで、他の魔狩(ヴァン=ハンテ)に負担がかかるのだから。
 攻撃回避は、重要なのだ。
 くすっと笑う声が聞こえてイズナは振り向いた。コトハが、笑顔を見せる。
「なーにしてるのかな」
 歌うようにいわれると、イズナの頬に血が上った。
「昨日の、アマルカンの、だよね? もうオジサマのくせに、キレイに動いてくれちゃって。こうかな」
 軽口を叩きながら、コトハが、イズナと同じ動きを真似る。コトハの動きも、また、彼女なりに鮮やかで、長い髪が揺れる分、はでやかに見えた。
 イズナは、大嫌いなアマルカンのマネをしていたことに、これ以上、突っ込まれたくなくて。
「教えてほしいことがあるんですけど」
 話題を変えようと試みる。
「コトハさんが、2刀使う理由って、なんなんですか?」
 テレビごしにみていた限り、コトハは2刀を使い、ときどき軽業のようにひょいと左右を持ち帰るのだ。
「私、あんまり霊力(フィグ)が強くないのよ。霊武器(フィギン)との相性が、それほど高くない、というか。だから、右に霊武器(フィギン)、左に鉄刀を持って戦って、霊力(フィグ)が消耗してきたら、竜皮の手甲をつけた左に霊武器(フィギン)を持ちかえるの。そうすれば、霊力(フィグ)消費は止まるし、鉄刀でも妖魔(ヴァン)の爪を防ぐ盾にはなるから」
 コトハは白い壁に背中をあずけてくつろいだ様子で話す。
「エドア=ガルドのことは聞いた?」
魔狩(ヴァン=ハンテ)の力があった、という話ですか」
 イズナは、コトハに歩み寄った。
「アマルカンとネルソン=ガロウは先祖伝来の魔狩(ヴァン=ハンテ)なんだけど、私は違う。妖魔(ヴァン)に襲われて、魔狩(ヴァン=ハンテ)に助けられたときに、なんだか自分もできそうな気がして、試験を受けて。他の都市で使い手のいなかった霊武器(フィギン)で、魔狩(ヴァン=ハンテ)になったの」
 コトハがもたれた壁の傍ら、片手をついて。イズナは問いを言葉にする。
「借りられるものなんですか? 霊武器(フィギン)を?」
「借りた、というか。エドア=ガルドの剣が、その都市に行ったのよ。まだ使い手は見つからないみたいだけど」
霊武器(フィギン)を船で運ぶってことですか?」
 他都市には船の便しかない。数週間から、数ヶ月かかると聞いていた。
「いいえ。匠精(メト)が仲介するんだと聞いたわ。あっという間に、他都市に渡るんですって」
 へえ、と、イズナが目を丸くしたとき。
「……気があうようじゃないか」
 アマルカンの声が、した。
 イズナは、くつろいでいた身体を、びくりと硬くして、唇を引き結ぶ。
「コトハ、イズナと一度、組んでやってくれるか?」



 ネルソン=ガロウは詰め所に入って、テレビの画面にびっくりする。
 カメラはコトハのバイクを後ろから撮っている。後部にイズナが乗っている、のは、現在の状況から見て、ありうることとはいえ。
 コトハのバイクの走行が、目を覆いたくなる不安定さなのだ。
「コトハと、出したのか」
 振り向けば、エドア=ガルドが、詰め所に入ってくるところだった。
「すみません。私の判断で……」
 アマルカンが頭を下げた。
「バイクの仕立ては、1台ずつ違う。コトハの機体は速度は出るが、二人乗りには向いていない」
「俺も、乗せるようにしますよ」
 ネルソン=ガロウが、ぼそり、と言った。

 ◆

 イズナが自宅に戻り、自分とニエルの暮らしは、イズナが主に世話をするようになった。食事の作り方、自宅の掃除、鳥小屋の世話。キラムも掃除くらいは手伝うが、風を食らうキラムは、食事の味見をするのが苦手だった。
 ニエルにとっては異世界であるアスワードの生活の細部は、好奇心の対象でもあり、これは、あれは、と細かく訊ねるのを、イズナは面倒がらずに答えてくれる。少しずつ手伝うと、思いがけないことのように、喜んでくれる。ニエルにしてみれば、ナホトカが戻り、精霊(ア=セク)王の元へ行くことができるまで、寝食を与えてもらっている。何かしようと思うのは、大人としても当然のことだと思うのだが。イズナは、大きな犬かなにか拾ったのと間違えているのではあるまいか。
 それでも、この家の現金収入の少なさは、目を覆うものがあり。イズナに
「電気器具など、修理いたします」
と書いてもらった。
 1枚目の紙は、大きくそれだけ書き、家の外に張った。
 2枚目は小さめにして、この町の者なら、この家にたどりつける程度の地図を添えてもらった。ニエルは、別の紙に、それを写しとって、枚数を増やす。
「どうするの?」
「修理に行った家に貼ってもらう」
 トキホの町では、電気器具はまだまだ少ない。妖魔(ヴァン)は光を嫌う。だから電灯は普及している。それから街灯テレビは、領主の肝いりで、辻辻に設置されている。
 だがそれ以外はほとんどない。だから修理も少ないだろうと思っていた。
 ところが、実際に始めてみると、意外にも、接触の悪い電灯や、映りが悪くなったテレビをそのまま持っている家庭がそこそこあった。どうも、この町で電気器具を扱える者が、領主に独占されているせいらしい。
 日中のニエルは、発音の未熟なアスワード語をくりつつ修理を引き受け、現金収入を得たり。家のことを手伝ったり。
 イズナは学校に通わないままでいる。むしろ、日中は、キラムのほうがよく、どこかへ行く。
 夕刻になるとイズナは、魔狩(ヴァン=ハンテ)の詰め所に出かける。そんな生活が続いていた。