異血の子ら

■大きな花■

 ずいぶん朝早く家を出ようとするイズナに、アマルカンは、
「どこかに行くのか?」
 と声をかけた。
「家に制服を取りに」
「では、学校へ?」
 アマルカンは、思わず確認した。休学を望んだのは、イズナの祖母を名乗っていた樹霊(ジェク)である。彼女が消滅した今、学校を休む意味はない。イズナはそう思っているのだろう。
「どう説明する?」
 小声で問いを重ねたアマルカンに、イズナはわずかに目をそらした。
「先生方には、祖父も祖母も行方不明と……。姉が攫われて、私が目の届かない場所に行くのを祖母がいやがるので休学したけれど、祖母が家にいないのでは家にいる意味もないから」
 イズナは、囁くような声で返事をした。家族を(おもんばかってくれるらしい、と、アマルカンは思う。
「学校側がお前を受け入れると思うか?」
「夕刻までいればまた迷惑をかけるかも。昼一番の授業で帰宅する」
 夜の間に、イズナなりに考えた結果なのだろう。声は小さいが、口調にはよどみがない。
「わかった。だが、自分の家には戻るな。ここへ帰ってこい」
 アマルカンからの指示めいた言葉尻に反発したのか、イズナの表情は硬いが。反論はしてこない。
「今日は、誰かがミナセのお葬式のことを知っていたら、列席してくる」
「学校で判らなかったら、詰め所で尋ねるといい。よく通知が入る」
「……夕方には、詰め所に行きます。妖魔(ヴァン)が出たら、魔狩(ヴァン=ハンテ)として出動させてもらえますか?」
 否、と言ったら、イズナは戻ってこないだろう。妖魔(ヴァン)に知られたあの家で、夜を過ごそうとするだろう。アマルカンは、そう感じて。
「わかった……」
 ゆっくりと頷いた。
「詰め所に伝えておく」
 そういってイズナを送り出した。詰め所に立ち寄り、魔狩(ヴァン=ハンテ)の裏方を勤めるノワカという女にイズナと自分の意向を伝えてから、アマルカンも昼の勤めに出る。
 魔狩(ヴァン=ハンテ)のほとんどは、昼の勤めも持って常人としての生活を送り、魔狩(ヴァン=ハンテ)であることは周囲に秘す。魔狩(ヴァン=ハンテ)という存在そのものが、妖魔(ヴァン)精霊(ア=セク)に近い、超常の力を持つものとして恐れられる。魔狩(ヴァン=ハンテ)の家族や親しい者は妖魔(ヴァン)に狙われるのだという噂もあった。それに、魔狩(ヴァン=ハンテ)の力及ばず妖魔(ヴァン)の犠牲になった者の遺族の逆恨みを避けるということもある。
 連日の戦闘に耐えられる年数が限られるということもある。殉死する者も多いが、霊力(フィグ)や体力の衰えを感じて霊武器(フィギン)を他に譲り、魔狩(ヴァン=ハンテ)を辞して余生を送る者も少なくはない。そのときに、近隣や職の仲間に、元・魔狩(ヴァン=ハンテ)などと知られていたくはないからだ。
 とはいえ。多少の無理が利かないのも困る。魔狩(ヴァン=ハンテ)たちは、だいたい、詰め所を後援しているエドア=ガルドの紹介で職を見つけていた。アマルカンの仕事は、港の片隅にある発電所である。この世界では、電気は夕から夜、主に、電灯、妖魔(ヴァン)の出現を知らせるテレビ、妖魔(ヴァン)を防ぐ電気柵に使われる。だから日中は、ほとんどの潮力発電機を止め、維持管理の業務に当たる。アマルカンは、技師ではない。技師の指示に従い、潮の塩分に傷めつけられる発電機械を、今日はここ、明日はあそこと、少しずつ替えていく仕事である。体力仕事が、魔狩(ヴァン=ハンテ)としての体の鍛錬を兼ねていると思えば、そう苦でもない。仕事では作業の安全のため頭に布を巻き、ガスを防ぐマスクと眼鏡をするので、顔を隠すのにも、都合が良かった。
 電気技師も、妖魔(ヴァン)に狙われやすいと言われていた。だから、午後も早くに仕事を終えて、夕刻までには帰宅してしまう。アマルカンたち作業者も、同じ時間に解放された。同僚の中にはその後すぐに別の仕事に通う者もいたが、アマルカンは詰め所で仮眠をとって夕からの魔狩(ヴァン=ハンテ)としての仕事に備えるのが通常だった。
 しかし、今日は。詰め所に寄って確認する。妖魔(ヴァン)の犠牲者が出た時にはよくあるとおり、詰め所にミナセの葬儀の通知が来ていた。そういう葬儀にいつも出るわけではなかったが。今日は、魔狩(ヴァン=ハンテ)の装束と半仮面を身につける。葬儀の場の格好としては奇妙な気もするのだが、それが魔狩(ヴァン=ハンテ)としての正装なのだ。
 人が死ぬと、魂は肉体を抜け出し、天を漂い、転生の日まで生前の夢を見ながら眠っている、というのが、アスワードの伝承だった。生き残った者たちは棺の上に一輪ずつの花を重ねて、自分が無意識にあるいは故意に故人に与えた苦しみの記憶を花に置き換える。その分、故人の夢は、安らかに保たれる、と信じられていた。故人が悪夢を見ると、原因となった者も共に悪夢を見るのだと信じる者もいる。
 葬儀の式場は、街の端、地霊(ムデク)の結界の一辺を描くという川のほとりにある。トキホの伝統の、白い壁と黒い陶板を重ねた屋根は、普通の家屋と同じ作りだ。ただ、一回り大きな建物で、隣に遺体を荼毘にふす焼き場を備えている。トキホの街でも、死者は妖魔(ヴァン)によるものだけではない。妖魔(ヴァン)以外の死者は、ここで火葬されて、灰は遺族が乗る船から海に撒かれる。
 アマルカンが式の場に着いたときには、もう縁の人々が集まっていた。制服に、死者を悼む印の黒いリボンを加えた学生も多い。ミナセの母親らしい女が集った人々への礼と、娘を失った悲しみを述べる。普通なら、列席者は頭を垂れて黙って聞くのが礼儀である。
 ところが、今日は違っていた。列席者たちは互いに目ひき袖ひき、囁きを交わしている。その視線の先には、棺の傍ら、通常はなるべく同じ大きさのそろった小さな花を用意する場所に、一輪だけ混じっている、ひときわ大きな花があった。故人を苦しめた人間がいるときに故人が遺言したり、家族が用意したりすることがあるというが。実際にはめったに行われることのない風習だった。
 そして、列席者の視線が向けられるのはもう一ケ所。そこに、イズナがいた。制服の背に剣を背負っているのは、この街で剣道を学ぶ学生には、珍しいものではないが。その剣はどうみても学生が持つ木刀ではなく、匠精(メト)の施した細工が異彩を放っている。儀式に列する人々が立ち並ぶ中、イズナの周りだけが、ぽかりと空いている。イズナは、うろたえるでも、怒るでもなく、静かに目を伏せて立っていた。
 母親の挨拶が終わり、献花が始まった。まず家族、それから親族。同じ大きさの花が次々に渡される。それから学校の教師らしき大人、そのあとに同じ制服の少年と少女たち。彼らはイズナを置き去るかのように、足を早めて献花の列に並ぶ。イズナはじっと彼らを見送っている。制服の参列者がつきたところで、ようやく、献花の列に歩みを進めた。
 参列者は残りが少ない。アマルカンも、列に着く。
 イズナを目の前にして。それまで、列席者に同じ大きさの花を渡していた母親が、大きな花に手を伸ばしかけた。指が震えて、迷い、小さな花を摘みあげる。イズナに、差し出した。
「いいえ、大きな花を。私のために用意してくださったのではないのですか?」
 イズナの声に皮肉な調子は微塵もなかった。ただ、静かに張り詰めていた。
「誰かが大きな花を献じるべきだというなら、それは私だろう」
 アマルカンは思わず横から口をはさむ。アマルカンは、ミナセが妖魔(ヴァン)に裂かれたとき、すぐ真近にいた。魔狩(ヴァン=ハンテ)でありながら、なすすべもなかった。
 イズナは、かぶりを振った。
妖魔(ヴァン)は、私の家の場所を聞こうとして、ミナセを捕まえたのだそうです」
 学校で、そう聞かされたのだろう。イズナは、ミナセの母親に、とも、アマルカンにともつかず、そこまで言ってから、はっきりとミナセの母に向き直り。
「どうぞ、……花を」
 母親は、首を横に振った。小さな花を、イズナの掌の中へ落とし込み、手を握って指を閉じさせる。
「ミナセは、……何度も言っていました。イズナさんが妖魔(ヴァン)に襲われたのは、イズナさんが悪いんじゃない、と」
 それは恐らく、イズナが学校で妖魔(ヴァン)に襲われ、剣を召還したあとの話だ、とアマルカンは思う。ミナセの母は、大きな花を自ら取ると、よろめくように棺に近づいて、乗せた。
「どうしてこんなものを用意したんでしょう。どうかしていました。……ミナセに、……叱られます」
 声が震えて消え、その場に泣き崩れる。感情の赴くままに大きな花を用意したものの、葬儀の異様な雰囲気に、自分がしたことの過剰な残酷さを悟ったのだろう。娘を失った悲しみも憤りも判るし、自省も判る。ただ、どう声をかけていいかだけが、アマルカンには判らなかった。
 家族や親族が駆け寄り、ミナセの母親の背をさすり、助け起こす。冷たい視線を、イズナに投げる者もある。
 イズナとアマルカンは、小さな花を棺に乗せると、黙礼して場を辞した。

 イズナは、トキホの街路を、アマルカンと歩く。アマルカンは直接、詰め所に戻るらしい、イズナもその方向に道を曲がろうとして。アマルカンは、身振りで留められる。
「剣は、持ってきています。魔狩(ヴァン=ハンテ)に参加します」
 参加したい、ではなく。参加します、イズナは強い口調で言い切った。アマルカンが、かぶりを振る。
「今日は、やめておけ」
「でも!」
 友を失って、その分。戦いたい。アマルカンに掴みかかりかけた手首を、握って止められた。
「今日は、先に帰っていろ」
 アマルカンの自宅の方向に、背を押される。
魔狩(ヴァン=ハンテ)には、なれないんですか」
「そんなことは言っていない」
「なんだかんだ、ごまかして、1日伸ばしに……」
「領主殿には、今日、話を通しておく。精神的に動揺している状態で、初陣は無理だ。今日は、帰れ」
 言われて初めて、イズナは気づく。自分の唇が、拳が震えていることに。
「わかり、ました」
 了解の返事は、押し殺した声になった。
 
 呼び鈴に答えて開いた扉から、ふわりと夕食の支度の良い匂いがした。マイヤは、前かけ姿でドアを開いてくれた。一階に、台所と居間と食堂と風呂場、地下に寝室をもつ、トキホのよくある家だが、よく手入れされている。そこここに置物や小さな花が飾ってあるのは、マイヤの好みなのだろう。
「お帰りなさい」
 イズナを迎える声が温かい。イズナは、焦る自分を落ち着かせるように、ほうと息を吐いた。
「何か、手伝ったほうがいいですか」
「まず制服を脱いでいらっしゃい。汚れると、いけないから」
「あ、はい」
「お部屋に、服を置いておいたわ。マキサのお古だけど、今日だけ我慢して。あとで私が前に着てた服、探すから」
「どうも」
 最低限の着替えは持ってきているのだが。好意におされて、男の子の服に着替えた。鏡の自分の姿に、制服姿しか知らない人から見たら、誰かわからないと思う。アマルカンの家に出入りするときは、この格好のほうがいいかもしれない。考えながら、台所へ向かった。
 けっして大きくはない台所だが、見るからに清潔そうな容器に入った食材や、きちんと磨かれた鍋が並ぶ。マイヤがにこりと振り向いた。
「ちょっと炉に炭を足してくださる?」
「はい」
 イズナは、炉の前にしゃがみ。傍らの炭箱から、金属性の炭挟みで、木炭をつまみあげる、
「木炭、なんですか?」
「台所は、普通、そうでしょ?」
「うち、石炭だったんです」
 そういえば。イズナの家には、木炭はなかった。たぶん、ユキヌが樹霊(ジェク)だったから。ユキヌにとっては、木炭は樹木の屍骸のように見えたことだろう。ユキヌは体が弱いといって、台所に立たせなかったナホトカ。たぶん、ユキヌは火が怖かったのだ。樹霊(ジェク)だから。
 祖父が石炭を買うところを一度も見なかった、と、イズナは気づく。使うといつのまにか足されていた。まるで、地霊(ムデク)が呼びよせるように。
「祖父が昔こしらえたとかいう石炭の炉を、姉が上手に調整して、料理も……。祖母がは身体が弱くて、料理はずっと姉の担当だったんです、私、あまり、お手伝い上手じゃないかも。すみません」
「イズナさん……」
 マイヤは、くるりと背を向けた。その肩が小さく震えているのを、イズナは呆然と見る。前かけが、顔に押し当てられるのが、後ろからでもわかる。
……泣いている?
 自分も、かつて妖魔(ヴァン)に両親を殺されたマイヤは、姉を攫われ、祖父母を奪われたイズナに、思い入れをもってくれているのだ。
 マイヤは俯いて深い息をひとつして、気恥ずかしそうにイズナのほうを向いた。
「イズナさんの担当は何だったの?」
「鶏小屋の世話とかしてました。……今日は一度も帰らなかったので、明日は世話しに行かないと」
「それだったら、マキサを手伝ってやっていただける? 今、掃除をしてるはずなの」
 慣れたことのほうがいいだろう、というマイヤの配慮に、イズナは素直に、
「はい」
と、頷いた。

 トキホでは、庭はたいてい、耐火の白壁に囲まれている。豊かな家では、潅木を刈り整え、風情のある石を置いて庭を作り、屋内から眺められるようにするが、庶民の家では鶏小屋を設けて鶏を飼い、野菜を植えて、食の足しにする。
 柵に囲まれた野菜畑の周りで、こっこと言いながら鶏が遊んでいた。
 マキサが、鶏を一時出して、小屋の掃除をしている。
「手伝う……」
「いいよ。これくらい、一人でできるから」
「でも」
「じゃ、野菜のとこ、草とって。青虫いたら、鶏にやって。食うから」
 イズナは、言われたとおり、野菜の葉を確認しながら、雑草をとりだした。そういえば、自宅の野菜は、ほとんど世話をしなくても、虫もつかず、元気に育った、と思い出す。地霊(ムデク)の、それとも、樹霊(ジェク)の加護。自分と姉は、ナホトカとユキヌにどれほど守られて来たのだろうか、と思う。
「あのさ」
 ぼそり、と、マキサが声を発した。
「あんた、……剣道部の、剣を呼んだ子?」
 イズナは思わず、マキサを振り向く。ゆっくり、頷いた。
「学校の噂で聞いた。父さんは、知ってるのかな」
「……一応」
魔狩(ヴァン=ハンテ)になる気?」
 マキサの声には、詰問の調子があった。
「なれるか、わからないけど。なりたいと思ってる」
 一瞬考えて、それだけ返す。アマルカン自身が魔狩(ヴァン=ハンテ)であることは、マキサに解らないように答えなければならない。約束した以上、守るつもりだった。
「ふーん。それ、母さんには言わないで」
「言わない。ご両親を亡くした話、聞いたし」
 マキサは、うん、と、小さく頷いた。
「母方の祖父母は母さんが子供のころに。父方の祖母は5年前に、ぼくの妹と一緒に。あんたが今いる部屋、妹のだったんだ」
 イズナは、マキサの妹、アマルカンの娘の話は知らなかった。マイヤからも、アマルカンからも、聞いていなかった。
「母さんはすごく悲しんで。食べない、眠れない……。母さんが両親を亡くしたときもそうだったらしい。それを父さんと、父方の祖母が看病して。それが二人の馴れ初めってわけ……。ぼくが、毎日、できるだけ早く帰るようにしてるのは、母さんに心配かけたくないから。母さんは、優しい人だけど、強い人じゃない」
「わかった」
 イズナの短い返事で、マキサは不機嫌な顔を消して、淡い笑顔を作った。
「あの、亡くなったミナセって子。助けてもらったことがあったんだ。剣道部に無理に誘われそうになったときに、あの子が途中で、でも家族が大事にするのはいいこと、って、剣道部の他の連中を抑えてくれた」
 イズナは、小さく息を吐く。それはもともと、イズナがミナセに言った言葉だった。ミナセは、人に言われたことでも、正しいと思えば、素直に口にする少女だったと、思い返す。
「彼女の魂に、平安でありますように」
 視線を空に上げてマキサが口にした祈りの声からは、険は消えていた。

 ◆

 一夜が明けて。勤めに出る支度をしていたアマルカンは、妻マイヤの柔らかな声に振り向いた。
「どうかしら」
 マイヤは、イズナの背に手をあてて、アマルカンに微笑を向けている。イズナは、ふわりとしたクリーム色のワンピースをまとい(まとわされ)、戸惑った表情でそこにいた。服は、マイヤのものである。イズナの剣道で鍛えられた体躯、凛と伸ばした背筋に、柔らかなその衣装は、今ひとつ似合わない。
「何をしている……」
「今日から少し、学校をお休みするのですって。大変だったのだもの。構わないでしょう?」
「私がいると、皆が緊張するようなので」
 イズナが言葉を添える。昨日のミナセの葬儀の席の様子から見ても、イズナの返答はおそらく嘘ではない。だが、やはり、復学は無理だったか、と嘆息つく部分が、アマルカンにはある。魔狩(ヴァン=ハンテ)の力を持つと判れば、受け入れられないのだ、と。
「イズナが決めるならそれでいいが。……マイヤ、あまり玩具にするな」
「あら、玩具なんてヒドい。可愛い服着たら、気も晴れるわ」
「本人がしたい格好をさせてやってくれ」
 子供のようにふくれているマイヤに、イズナが気まずげに返答する。
「あの……、うちのほうの鶏の世話も、しないといけないし……、剣道の稽古も続けたいので……、動きやすい服のほうが」
「そうなの? ……ごめんなさいね」
 しゅんとするマイヤは、あくまで善意なのだ。アマルカンは苦笑する。
 イズナが、ひとつ息をついて、あらためて、のように、声を出した。
「家に戻ろうかと思うんです。いつまでもここにお世話になっているわけにも」
 マキサが、ぎくり、という顔で、軽くかぶりをふる。「出て行けとまでは、言ってない」という意味合いがそこに篭っているとは思わず、アマルカンは、止めねばと思う。一度、妖魔(ヴァン)に襲われた家に戻るのは危険すぎる。
 マイヤが、
「何を言っているの、遠慮することはないのよ? 私は、にぎやかになって嬉しいんだから」
 にこやかに笑い飛ばすと、イズナは困った顔をしたが、それ以上は、帰宅を主張しなかった。
 なんとなく話はついた雰囲気になって、
「行ってきまーす」
 マキサが学校に向かう。
「少し早めに詰め所に入れ。……伝えてある」
 イズナに小さく声をかけて、アマルカンも昼の職場に向かう。今日は、イズナを魔狩(ヴァン=ハンテ)の詰め所に迎えいれる準備もしなければならない。

  ◆

 ニエルは、エドア=ガルドの屋敷で、朝食をふるまわれて、ようやく解放された。
「ここからは、もう、すぐだよ。ラローゼ様が人になってから住んでいた家は。そこまでいけば、きっとイズナとナズナの消息がわかる。ナホトカ様は、義理堅い方だったから。イズナとナズナを見捨てるはずがない。二人にあえば、きっと、ナホトカ様に会う方法がわかるよ」
 風のたっぷり通る部屋で一晩いたので、けっこう元気だといって、キラムは今日は自分で歩いている。
 だが、辿りついた家は、誰もいなかった。庭の、裂けて焦げた大樹に、キラムは駆け寄った。
「なんだよ、これ、なんだよこれ、どうしてユキヌ様の匂いがするんだよ、どうしてユキヌ様の匂いがする木が枯れてるんだよ!」
 樹霊(ジェク)の匂いの木が枯れているというのは、大事(おおごとであるらしいのだが、ニエルにはまだピンときていない。
 キラムはわたわたとその庭を駆け回り、
「鶏小屋の世話が、きちんとしてある」
 と言った。ミューは鶏が気に入って、ニエルの肩から降りて、鶏小屋の金網の前を行ったり来たりしている。
「誰も姿が見えないけど、しばらく待ってみよう。イズナとナズナの行方も判るかもしれない」
「イズナとナズナっていうのは?」
「ラローゼ様の娘だよ。ちっちゃいんだ」
 三つか四つの子供の背丈を手で示す。
「……お前、十二年、眠っていたといわなかったか?」
「うん。そうみたい」
「人間の子供が十二年経ってたら、もうそんな小さかないぞ?」
「そうか……」
 がっくりと庭石に座り込むキラム。
「匂いも変わる?」
 一瞬、ニエルは返事に困る。精霊(ア=セク)の嗅覚というのがどうなっているのか判らない。だが、幼い子供はたいてい、乳くさいというか、独特の匂いがするものだ。
「変わるんじゃないか?」
「……おいら、判るかなぁ」
 ほどなく。門のほうから、足音がした。キラムが緊張する。現れたのは、最初、帽子をかぶった少年に見えた。背負った剣と、手にした素朴な籠が、なんともミスマッチだ。籠には、鶏小屋の中にあったのと同じ草の実が入っている。
「キラム?」
 言いながら、帽子をとる。艶のある赤茶の髪が、肩よりも下りた。少年ではない、十五くらいの少女である。
「イズ……ナ?」
「憶えててくれたんだ?」
「忘れるもんか!」
「だって、ずっと来なかったじゃない」
 ついさっきまでのキラムの落ち込みを知らない少女は、ただ、懐かしそうだ。
「イズナ! その剣! 剣! どうしたの? おいら、無くしちゃったと思ってた!」
 キラムは、イズナの背を指して、目をぱちくりしている。
「飛んできた……」
 再会を喜ぶイズナとキラムの脇から、ニエルは小さくキラムに囁く。
「このお嬢さんの言葉だけ解るんだが?」
 キラムはきょときょとっと、イズナとニエルを見比べ、あわてて紹介らしきことを始める。
「イズナ、この人はニエル。他の世界から来たんだって。アスワードへ来てからは、おいらと一緒に旅して来たんだ。ニエル、この人がさっき話したイズナだよ」
「俺は、キラムの言葉は解るんだが、アスワードの人間の言葉は解らない。なぜイズナの言葉だけ判るんだろう?」
 小精霊(ミア=セク)と旅してきたという男の視線には、好奇心はあるが悪意がなく。イズナは、軽く笑んだ。
「どうやら私は、精霊(ア=セク)の血を引いていて。霊術の力があるらしい」
「イズナ!、誰に聞いたの……」
 キラムが悲鳴をあげた。
「霊術ってのは、なんだ、魔法使いみたいなもんか」
 ニエルが自分の言葉でそう聞いたのは、イズナとキラムには
「霊術ってのは、なんだ、霊術使いみたいなもんか」
 と聞こえた。
 イズナがアマルカンに聞いたことを話し、キラムは横からそれを肯定したり説明を足したりした。シズサが精霊(ア=セク)の王妹ラローゼへの襲撃の際に死んだこと、ラローゼがシズサに憑依して、カイと結ばれたこと。カイが魔狩(ヴァン=ハンテ)に戻り、ラローゼは遠翔(テレフ)妖魔(ヴァン)出現の場に急行し、カイを翼の霊術具(フィガウ)で空を飛ばして協力していたこと。
 カイとシズサの保護者でも友人でもあったナホトカとユキヌのこと、ナホトカは地霊(ムデク)、ユキヌは樹霊(ジェク)、そこまでがキラムが判ること。
 イズナはキラムに、最近のできごとを告げてゆく。姉ナズナの拉致、ユキヌの死、祖父ナホトカの行方不明。アマルカンに母の話を聞いた経緯も。
「ナホトカ様が、イズナをほったらかしてどこかへ行ってしまうなんて、ありえないよ! 何か事情があるんだ、絶対戻っていらっしゃる」
 イズナは、キラムに、アマルカンから渡された父母の形見の指輪も見せる。
「剣だけじゃなく、竜鱗の指輪まで手元に戻ってるなんて。よかった。これは、ラローゼ様の霊術具(フィガウ)なんだ」
 積もる話が尽きないうちに、イズナが詰め所にいくべき時間になる。
「今夜だけは、アマルカンの家に戻るけど、明日はきっと帰ってくるから」