異血の子ら

■ニエルの旅III■

 ルアブから、十七都市ファルゼンへは、前日通ったよりしっかりとした道だった。
 ニエルは、キラムを、木の板に綱をつけただけの急ごしらえの橇に乗せてみた。その綱を、ニエルが引くのである。キラムの体格なら、直接背負うこともできるのだが、肌と肌が密着するとそこから「力」を吸われそうな気がした。
 キラムは、ほとんど重さを感じさせなかった。人通りは少なかったが、たまに人にすれ違うと、キラムはささっと橇から飛び降りて茂みかなにかに隠れてしまう。人が行過ぎると、とことこと橇に戻る。
 板橇の乗り心地はすこぶる悪いようだが、キラムにとって背に腹のかえられない事態らしく、ときどき、橇の上でコケては、
「いてっ」
 と呟く以外は、ほとんど愚痴も言わない。
 ニエルはさすがに気の毒になって、クッションがわりに葉のついた枝をくくりつけ、その上に蹴爪でしがみつけるようにしてやった。
 前日より、ニエルとキラムの距離が近い。いつのまにか結構会話を交わしていた。キラムは、この世界……アスワード……の人間はすべて同じ言葉を話すと主張する。ニエルは最初、半信半疑だった。彼らが知らないだけで、他の国家や言語が存在するのではないか、と思ったのだ。だが、キラムは、言葉が統一されているには理由があると言う。精霊(ア=セク)が言葉を作り、人間に教えたのだと。
精霊(ア=セク)はもともと、風霊(ウィデク)も、地霊(ムデク)も、樹霊(ジェク)匠精(メト)も、同じ言葉を話す。風霊(ウィデク)は、一人前になれば、遠翔(テレフ)の術を駆って、この世界のどこへでも行けるから。精霊(ア=セク)の言葉は、場所によって違ったりはしない。地霊(ムデク)は、自分の土地に人間が住み着けば、交流もするから。人間に言葉を教えたのは、たいていは地霊(ムデク)だ。精霊(ア=セク)と人間は、言葉が同じでなくても話はできるけど、でも話しにくい。人間が精霊(ア=セク)の言葉を話せたほうが、何かとやりやすいからな。そんなこんなで、地霊(ムデク)には、人間びいきが多いんだ」
 声が届くほどの距離で飛んでいたミューが、
「博士! 博士! ソノちび、何カ話シテルノ?」
 と言い出した。
「ミューは、キラムが何を言っているのか、わからないのか?」
 これは、ミューに言ったのだが。
「おいらも、そのカラクリ鳥が何を言ってるのか、解らない」
 キラムが、むすっと言った。
「そいつは、音は出すけど、心がないからな。読めないんだ」
「もしかして、あれか? ミューにキラムの『声』を覚えさせれば、翻訳機がわりに使えるか?」
「どういうこと」
「キラム。ここの言葉で、俺、と言ってみてくれ。ミュー、キラムの声を覚えろ」
 ミューにキラムの声を、繰り返させてみた。ニエルにはまったく解らない単語が返る。
「うん。そいつ、『俺』って言ったよ」
 ニエル自身も単語を繰り返してみたが、ニエルの言語には含まれない発音があって、自分でも発音が変だとわかる。それでもまったく判らないよりははるかにマシだから、バイオ・メモリーに言語解析プログラムを走らせて、アスワードの言葉を蓄積した。
 
 朝にルアブを発って、ファルゼンに着いたのは昼下がり。街の周囲に農地が広がり、街との境にぐるりと塀があって、鉄条網が張りめぐらされているのはルアブと同じだ。だが、ファルゼンの街は、ルアブよりははるかに大きかった。建物は、赤褐色や黄土、灰色、薄茶色などを取り混ぜた石を積んで、強固に作られていた。窓が少ないが、蔓植物を這わせたり、壁のくぼみに花鉢を置いたりして、街並みは全体に陽気で明るい雰囲気に見えた。
 橇を街の中で引いているのは目立ちそうなのと、キラムがどうにか歩けると言うので、門の外で捨てた。キラムは、くんくんと空気を嗅いでは、
「こっちだと思うな……」
 などと言いながら、先に立って歩く。
「何か、匂いがするか?」
 ニエルには何も感じられない。
「うん、霊力(フィグ)の、術の匂い」
 なんだそりゃ、と、一人ごちつつ、キラムの後を進む。キラムは、元気な歩調とは、言えないけれど、人目の少ない道を選ぶための多少の遠回りをする余裕はあるようだ。
 たどりついたのは、街のなかでも、とりわけ大きな屋敷。
「領主の屋敷、かな」
 キラムは、高い塀を見上げる。門から入るという気はないらしい。塀のうえには、この街でよく見る放電柵が張り巡らされている。
「よっ!」
 キラムは決心したように飛び上がったが、飛び越えたとたんに油断したのか、ぽてりと落ちるのが壁のこちら側からも見えた。ニエルは、サイボーク化された脚力に任せ、思い切り飛び上がって上を越え、なんということもなく着地し。
 牙を剥き出し、低く唸る犬に囲まれる。
 地面でぽけっとしていたキラムは、体が重そうに立ち上がると、
「だいじょぶ、だいじょぶ、なにもしないから」
 と犬に話しかけた。犬は、判ったけれど、疑わしい、という感じで二人についてくる。キラムはそう気にする様子もなく、庭ぞいに奥へ進んだ。ミューも少し遅れて飛んでくる。
 屋敷の外からは見えない場所に、その建物はあった。低めの柱の上、天井や屋根はなく、彫刻を施した石の梁だけが渡されている。周囲とは隔てられた広間のような空間。中を見ると半地下に掘り下げられ、床から梁までの空間は通常の建物の天井よりも高い。床は、四×四の十六に等分され、それぞれに、何かキラキラしたものが嵌め込まれて不思議な模様を描く。
「これが、翔者(テレフム)の魔法陣だ。行く先が十六、それにこの街を加えて、十七都市というんだ。地霊(ムデク)の加護がある、歴史のある街だ」
 キラムは一つ一つの模様を検分してゆく。
「これだ。トキホの街」
 ニエルに、この枠の中へ入ってしゃがめと手招きをした。ニエルの肩に手を置く。普段止まる肩をキラムに取られて、ミューが不満そうにニエルの頭に止まった。
 キラムはなにやら念を篭めている、らしいのだが。いくら待っても、何も起こらない。しばらくすると、キラムが大の字にひっくり返った。
「やっぱり、だめだー」
「だめって何がだ」
「力が有れば、遠翔(テレフ)ぶことができるんだ。この魔法陣から、トキホの魔法陣まで。一瞬さ」
 キラムの説明によれば、一瞬で移動する術らしい。ニエルの世界でテレポートと呼ばれるものと同じだろう。
 風霊(ウィデク)は、一人前になると、どこからどこまででも飛べる。抱きかかえたり繋がったものならどこへでも自由に飛べるが、そうでなくて誰かと一緒に飛ぶためには、特別の霊術具(フィガウ)がいる。精霊(ア=セク)が用いる術のなかでも大技で、疲れるので、そう無闇に飛べるものでもないという。
 キラムは自慢そうに、手の指にはめた指輪を見せた。
「それで翔べるのか?」
「おいらじゃ無理さ。翔べたのは、ラローゼ様だ。花のように美しい風霊(ウィデク)で、本当に強かったんだぜ。この指輪をはめていれば、一緒に翔べた……。これは竜鱗に術を篭めた指輪だから、ラローゼ様が亡くなっても消えずにあるんだ」
 風霊(ウィデク)以外の精霊(ア=セク)は、魔法陣を使う。魔法陣がある場所へしか飛べないが、魔法陣の中のものは霊術具(フィガウ)なしでも一緒に飛ばせる。
 翔者(テレフム)と呼ばれる人間、それからキラムのような修行不足の風霊(ウィデク)は、新しく魔法陣を描くことができないけれど、霊術具(フィガウ)として設置された魔法陣なら使える。それがこの魔法陣なのだという。

 翔者(テレフム)は、ほとんどが領主に雇われている。魔法陣そのものも、領主が占有しており、魔法陣を知らない人間のほうが圧倒的に多い。
「日時計から見て、もうじき時間だ。翔者(テレフム)は、魔法陣に物をくぐらせるんじゃなくて、他の街の魔法陣の上と、自分の街の魔法陣の上を、"取り替える"らしい。それが、空っぽの空間でも。だから、翔者(テレフム)のいる全部の街が、自分の街からは何もないときでも、決った時間に揃って術をかけるんだ。そんときに、おいらたちをトキホに送ってくれないか、頼んでみる」
 そんなことを言っているうちに、庭からひょこりと魔法陣を見下ろしたのは、ほっそりとした少年。名工の人形に命を吹き込んだように美しい。
 キラムと何か話し始めたのだが、ニエルには言葉がわからない。
匠精(メト)か?」
 とキラムが言った。かぶりを振っているが、「何代か前に匠精(メト)の血が混じってるってさ」とキラムが翻訳してくれる。
 どけ、と手まねをしているようだ。
「おいらたちも、運んでくれないか? トキホまで」
 少年は、手を出してなにか要求してくる。
「対価? ……トキホについたら、ナホトカ様に頼んでみる」
 首を横に振られる。
「ナホトカ様のことは知ってるみたいだけど。情報を買い集めるときに、たいして払ってくれないからいやだって」
 キラムは心底困ったようだった。
 待ちくたびれたのか、ニエルの頭の上で、ミューが羽ばたきした。少年がそれを見て笑む。何か言っている。ミューは自分が話題になっているらしいと察したらしい、嬉しそうに少年の周りをぐるりと飛んだ。
「ニエル、こいつ、ミューを欲しいって言ってるけど」
「こいつは電気で動くんでな。充電の仕方を知らないとすぐ動かなくなる……と教えてやってくれ」
 また二人、何か話している。
「ニエル……。トキホは、エドア=ガルドの街だ。電気を扱える人間を紹介したら礼金をくれるらしい。そいつをトキホの翔者(テレフム)に払えば、このファルゼンの翔者(テレフム)とトキホの翔者(テレフム)で山わけするっていうんだ」
「紹介するだけで、か? 足どめを喰うのは、困るんだが」
 キラムは、またやりとりをして、
「ニエル、大丈夫だって言ってる。頼むよ……」
 キラムは本当にトキホへ行きたいのだろう。すがるような目で頼んでくる。
「時間を無駄にしたくないのは、俺も同じだが……、ちょっと会うだけに金を払う人間がいるもんかね?」
「エドア=ガルドは、電気を発明して、大金持ちになったからな」
 キラムの一言で信じた、というより。ニエルのなかで、好奇心のほうが用心に勝った。
「まあ、いいか……、この世界で電気を発明した人間というのは、ちょっと興味もあるし。了解だと伝えてくれ」
 商談は成立した。
 翔者(テレフム)の少年が、トキホの翔者(テレフム)宛てだという手紙を書き、それを持たされた。魔法陣に立つ。ノ=フィアリスからアスワードに翔んだときに似た、けれどもっと弱い圧迫感があって。
 周囲の景色が変わった。昼下がりから夕刻へ。それだけの時差がある距離を、一瞬で飛んだのだ。
 明らかに雰囲気も違う。ファルゼンが陽性の赤い石の街であったとしたら、トキホは静かな白い漆喰と黒い陶器の屋根の街だった。ファルゼンの魔法陣の上にあった赤味がかった石の梁は、波模様の黒い焼き物を組み合わせて作られている。柱の一つに欝金色の大きな時計がかけられているのだけが、彩りだ。領主のものらしき屋敷は、人の腰のあたりまで黒い石を積み、その上に白灰色の壁、さらにその上には黒い陶器の屋根を重ねていた。モノトーンの建物そのものは派手ではないのだが、庭木の緑とのコントラストには、美しさがあった。
 トキホの翔者(テレフム)は、ぽちゃぽちゃと小太りした女だった。キラムに何かを言い、キラムはニエルの手から手紙をとって、女に手渡す。女は折った紙を開いて読み、ニエルに向かって眉を上げて見せた。
 先に立って歩き出す。キラムがそれに着いて歩き出したので、ニエルも従った。ミューはニエルの肩に乗っている。
 翔者(テレフム)の女は、屋敷に入ると、ことことと音を立てて階段を上る。案内されたのは、屋敷の三階だった。どうやら会議室のような場所で、十七の席のある円卓の中央には惑星を示すらしい丸い模型が色石を組み合わせて作られていた。いくつか艶のある石がはめこまれ、金彩で文字が書かれている。
 椅子に座らされたところで、鋭い目をした初老の男が、階段を上がって来た。キラムに何か言った。キラムという語がかろうじて聞き取れた。
 キラムは、一瞬、眉を寄せたが。
「エドア=ガルドなのか? ……歳くったな」
 と言ってのけた。ニエルは、領主にこの無礼でいいのだろうか? と思ったのだが。エドア=ガルドはそれにはこだわらず、鋭い目で、キラムに何か言った。
「ラローゼ様は、亡くなった」
 キラムが答える。エドア=ガルドは、深く息をついて、かぶりをふる。気をとりなおしたように、ニエルに視線をあてて、キラムに何か尋ねる。
「うん。旅の客だよ。電気の、道具をもってる」
 エドア=ガルドは、ニエルに向き直り、自分の胸に手をあて、ひどくゆっくり、
「エドア=ガルド」
という。名を聞きたいのだろうと、ニエルは自分を指して、
「ニエル」
と応えた。
 エドア=ガルドは、トキホの領主を務めている、と、自己紹介した。いちいちキラムが繰り返してくれる。
 席につき、飲み物と食べ物を勧められる。ニエルとキラムに先にとらせて、エドア=ガルドが後にとった。毒を入れてないと示す所作は、どの世界も共通だな、と、ニエルは苦笑する。黒い塊はやたらに甘いばかりに思えたが、苦い飲み物で飲みくだすと鼻腔の奥にふわりと香りが残って心地良い。
「ミュー。エドア=ガルドの手に止まってみろ。アスワードの言葉で挨拶を」
 ニエルの肩に置物のように乗っていたミューは、軽く飛び立つ。エドア=ガルドは、目を輝かせ、おいで、と手招きした。その手の甲に、ミューはちょこんと止まり、
「コンニチハ!」
 道々、キラムに習ったアスワードの言葉で言った。
 エドア=ガルドはミューをためつすがめつしている。ニエルは、また欲しいといわれるか、と予想したのだが、エドア=ガルドが望んだのは別のものだった。
「これまで技術のある者をずいぶん手を尽くして探してきたけれど、言葉も通じない辺境にあんたみたいな技術者がいるとはまったくの予想外だ、どこの出身か、自分の下で働かないかってさ」
 キラムが、エドア=ガルドの言葉を繰り返す。
「俺は、イーザスンという別の世界から来た、(ア=セヴ)の王を探すという仕事を請け負っているので、他には仕事は求めてない」
 キラムが繰り返すのを聞いて、エドア=ガルドの顔色が変わった。
 翔者(テレフム)の女に何か言う。女は、部屋の四方の窓を次々と開いていった。窓の外は、すぐに外気。誰も隠れて立ち聞きしていないことを、ニエルに納得させるように。それから階下へ降りていった。
 エドア=ガルドは壁際の、腰の高さの棚を開くと、おおぶりのスケッチブックのようなものを取り出した。
 一枚ずつめくってみせる。
 車。バイク。エンジン。テレビ。真空管。潮力発電装置と風力発電装置。なぜか玩具の銃。緻密なタッチの技術図面である。
「チキュウ」
 その一語がわからない。キラムも、きょとんとしている。
「イーザスンのものじゃない。でも、何であるかはわかる」
 ニエルの返事をキラムが繰り返すと、エドア=ガルドは少し肩を落として、何か言った。
「チキュウから来たんじゃないのは残念だけど、他の世界が本当にあると判っただけでもいいってさ」
 スケッチはすべて、エドア=ガルドが若いころ、三十年以上も前に見た夢なのだという。
「夢だというと誰も信じてくれないから、これを全部、"発明"したと言って来た……、自分は絵を描いて機能を説明しただけで、本当にこの世界でこれを再現したのは、部下の技師たちだって」
 キラムの声を聞きながら、ニエルは、スケッチブックのページを繰る。機能を説明しただけと軽く言うが、説明するためには、機能を理解していなければならない。無論、イチから発明するより、すでにあるものを見て理解して説明するほうが楽ではあるが。それでもかなりの能力の持ち主だと思う。
 エドア=ガルドは、続いて、一枚の紙を出してきた。スケッチブックから破りとったもののようだが、技術図面ではなく、不思議な雰囲気を持つ男をさっと描いたスケッチだ。この地の文字らしきもので文章が添えてある。
「え! ナホトカ様だ……」
 キラムが呟く。エドア=ガルドが不審げな顔をする。
「知ってる人に似てるんだ、それだけ」
 キラムがぱたぱた手を振って。文字を指でたどって読み始める。
「世界は無数にあり、近接(タゲント)で近づく。アスワードの近隣世界は、本来、電気の文明の世界だ。しかし、アスワードでは、電気が発明されるたびに、地霊(ムデク)はその地を見捨て、結界の消えた地で妖魔(ヴァン)がその者を屠った。そのためアスワードは、電気が発達することがなく、近隣世界とは異なった世界となった。世界と世界が接する高次の構造のなかで、アスワードは歪みつつある。アスワードという世界は、広大だ。この星はそのなかでほんの一点にすぎない。それでも、その歪が大きくなりすぎると、この一点から、世界そのものが壊れる。近隣世界との歪を、許容の範囲に納めるためには、電気の発明者が必要だ。……これまでトキホを守護した地霊(ムデク)に代わって、わしがこの地を守ろう」
 わからないのだ、と、エドア=ガルドは、首を横に振って見せる。
「多元宇宙の話らしいな」
 ニエルが返すと、キラムが困った顔をしている。この世界にはない概念なのだろう。
「たくさんの世界がある。隣の世界は、似ていて、離れた世界は、異なる。そういう中に一つだけ、隣と極端に違う世界が紛れ込むと、構造が安定しない。……そんな話をしているんじゃないか? 中身としては、わかるような気もするが、検証は不可能だしなぁ。で、その世界の相違点のうち、最大のものが電気文明なんだろう。この世界に電気文明を発達させることによって、世界を安定化させる、とか、そういうことを言いたいんだと思うぞ?」
 説明のレベルは、もとのメモとほとんど変わっていない、とニエルはため息をつく。こんな雲を掴むような話をどう説明すればいいのか。
 キラムが繰り返すのを聞いて、エドア=ガルドは、柔らかく笑んで、ニエルを見る。
「ニエルの世界にも、電気があるんだろ? そういう世界から来た人間が、この説明を判ると言ってくれることが一番肝心だと」
 そのとき、耳ざわりなサイレンが鳴り渡った。続いて、バイクの爆音が起こる。
 エドア=ガルドは、大きく開いた窓に歩みよる。ニエルも、つられて窓に寄った。見下ろす視界、道をバイクと装甲車が遠ざかってゆく。その行く先には、花火が上がっている。バイクは、イーザスンとは比べ物にならない低速だ。装甲車も未熟な技術に見えるが、おそらくこの世界の技術レベルでは粋を集めたものなのだろう。
 屋敷は、街の中で小高い場所にあるうえに、街の建物はほとんどが平屋で、屋根の黒い陶器が波のようだ。ところどころに、細い物見櫓と高い木が、その波に突き立って見える。エドア=ガルドが、気づかわしげに、なにか言った。
「花火は、妖魔(ヴァン)に襲われた人間が助けを呼ぶ印、サイレンは市民に妖魔(ヴァン)が来たと報せているんだ。バイクで出て行ったのは、魔狩(ヴァン=ハンテ)だってさ」
 キラムが言う。
妖魔(ヴァン)?」
「黒い羽があって、飛んでくる。人を襲って、むさぼり喰う」
 エドア=ガルドが、キラムの言葉を聞いているニエルを、見た。
「このトキホの人口がおよそ一万。世界に十七の都市があって、それぞれの人口は、だいたい似たようなものだ。花火で魔狩(ヴァン=ハンテ)を呼び、バイクで急行する体制を敷いてからは、花火を上げることができた者はかなりの確率で救えるようになった。まだ年間の犠牲者数を減らすところまでは行ってないが、狙われた者が無抵抗ではなくなったのは大きいと思っている。そのうち、犠牲そのものの」
 エドア=ガルドの言う中身を、キラムに教えてもらって、ニエルは思わず反問した。
「全世界で人口が、ざばっと十七万ってことか?」
「すごいだろ!」
 キラムは言う。
「イーザスンの人口は、最大で七十億くらいあったんだ、今は誰も統計を取ってないが。……億は、万の万倍な」
 二十万足らずというのは、イーザスンの感覚では、"世界の"ではなく"小都市の"人口だ。
 キラムが、億という単位に目を白黒させる。
「人間は、いっぱいいると思ってた。精霊(ア=セク)は全部あわせて千足らずだぜ? 妖魔(ヴァン)が四百」
 全世界に千が散在する種族。その種族が王を戴いていて、自分はそれを探しあてねばならない。
 バイクの爆音が遠ざかった方向を遠く見つめている、領主の男の横顔を見る。
 ふと、イーザスンの「小部隊の英雄」という言葉を思い出す。局地戦で活躍するが、戦争の大局には関わらない者を揶揄する言葉である一方で。「小部隊の英雄は忘れられない」とも言う。人は、自分の目の前で戦い、自分の命を救ってくれた相手を忘れない、という意味だった。
「世界人口の割りに密度が高くないか?」
 ニエルは、目の前に広がる、屋根の波を指した。
妖魔(ヴァン)が入りにくいといわれる地に、住居が集中する。最近は、放電柵を設けて、市街地域を広げようとしているんだが、旧市街から出て行こうとする者が少ない」
 ずっと足止めはしないが、夕食を用意させるから、今夜一晩留まらないかと言われて、ニエルは一も二もなく甘えることにした。食事として目の前に並んだのはイーザスンでは食べたことのないものばかりだったが、ニエルの好奇心が幸いしたのか、食べられないほどの抵抗は感じない。ただ、エドア=ガルドの話題はいっこうに食物に向かないので、質問をする隙もない。食事の最中も後も、えんえんと議論が続く。
 たとえばニエルが呆れたことに、霊銃といって見せられた妖魔(ヴァン)用の武器は、中にバネを仕込んで、竜の角でつくった弾を飛ばすようになっていた。どうみても、スケッチブックにあった玩具の銃を改良した構造である。この構造では、弾の速度が足りないため、まともに当たっても相手を倒せない。しかも弾は大変な貴重品で、犬に探させて回収するという。イーザスンでは、火薬で金属の弾を飛ばすというと、エドア=ガルドは目を丸くしている。
 妖魔(ヴァン)と戦う武器は、霊武器(フィギン)でなければならず、体から放すと距離に比例して強い霊力(フィグ)を必要とする。霊力(フィグ)に無関係にどうにか破れるのは、妖魔(ヴァン)の翼だけ。
 銃は、エドア=ガルドが夢で見て試作したものしかない。他の飛び道具はどうか、というと、弓矢は史上ほとんど使用されていない。木や竹に鏃を組み合わせた矢では、妖魔(ヴァン)の羽さえ破れないらしい。
 ニエルが妖魔(ヴァン)以外には弓矢を使わなかったのかと聞けば、昔から、野生動物を追って狩る習慣がないという。動物は罠で捕えるか、解毒可能なしびれ薬を入れた餌で捕えて、解毒して食する。古代、逃げる獲物を追ったときに、夕闇が降りる時間までに、妖魔(ヴァン)の入らない村へ戻ることができなかったからではないか、というのがエドア=ガルドの推測だった。
 戦争も少ないようで、トキホも何百年か経験していない。古代の村と村、現在の都市と都市は互いに遠く離れており、直接的な利害対立は少ない。都市は人間の住みやすい地に建設されており、他都市を略奪しなければ生きられないほど貧窮しない。仮に陸路を進軍すれば、敵都市よりまず妖魔(ヴァン)に襲われる。
 都市間の交易は船がメイン。妖魔(ヴァン)は水を嫌い、船はほとんど襲われないから。
 とにかく、すべてが妖魔(ヴァン)に結びつく世界なのだ。
 結局、なんだかんだと話は続き、一睡もしなかった。ニエルのほうは、遠翔(テレフ)の魔法陣を通る前との時差があって、そう眠くもない時刻なのだが、エドア=ガルドにとっては普通に徹夜である。
「領主もやってる、タフなテクノロイアってとこか」
 というのが、ニエルの感想である。さすがに口にはしなかったが。