異血の子ら
■爆威■
数日の時間を経て、イズナに斬られた妖魔ケドイの傷はようやく癒えつつあった。
王女リュアの癒しの術は傷の痛みをとり、ぱくりと裂けた傷をとりあえず塞いだが、その翼はすぐに飛び回れるわけではなかった。傷を一気に無にするには多大な霊力を消費する。王女の身分をもつリュアにそこまで甘えることは、ケドイにはできなかったし、そこまで回復を焦る必要もなかった。
数日の療養を経た今、足場のよい場所で、大きく羽ばたいて見る。痛みはないし、翼には、空気を打って浮力を得る、力強い感触があった。飛べそうだ、と、思いさだめて、低く飛んでみる。異常はない。高度をあげ、無事に回復した喜びに浸る。
その姿を見たのか、リュア配下の別の妖魔が近づいてきて、リュアの呼び出しを告げる。
王女が気にかけていてくれたというのか、と、ケドイは勇んでリュアのもとに馳せ参じた。
リュアは、もちろん待っていた。ケドイという負傷兵を心配して、ではない。トキホの市内とイズナの顔を知り、しかもイズナに斬られた恨みをもつ、自分の駒を手にするのを待っていた。
参上したケドイに、リュアは、しどけない仕種で歩みよる。気づがわしげな表情を作り、翼に顔を寄せ、ケドイの翼にかすかに残る傷あとを指さきでつっとなぞった。婉然たる微笑を浮かべる。
「よかった、傷は塞がったねえ」
「リュアさまのおかげです」
「わらわのために働いておくれかい」
「はい、喜んで」
「そうか」蕩けそうな笑顔でリュアは頷き「では、わらわのために、イズナをさらってきておくれ。お前を傷つけた憎い小娘、傷をつけるのは構わないが、できることなら殺さずに運んできてほしい。サガの手元にいるナズナと並べて霊力を量り、予言にふさわしいほうを残したい。手勢は私の配下の者たちからそなたが使いやすい者を選んでおくれ」
ケドイは、リュアの前に膝まづいて、爪先に触れる。それは、本来は王に向けるべき、服従の印だった。
◆
夕刻の学校前。純白のブラウスに、薄茶の上着と茶色のスカートを組み合わせた制服姿が、三々五々、自宅への道に散ってゆく。
「さよならー」
「また明日ー」
陽光が落ちては翳る、雲の多い空。サイレンが鳴り始めた、と思ったとき、街路に射した陽光のなか、なにかの影が横切った。
「?」
見上げたミナセは、目を見張る。
「妖魔!」
まだ陽光は残っている、しかも街中である。先日、学校が襲われて以後、妖魔が街に入ることもあるとは知っていたが、それにしても例外が続きすぎる、と思う。
通学路にいる誰かが上げた、妖魔報せの花火が、パンと音を立てる。サイレンは妖魔の存在は教えるが、魔狩に現在の位置を知らせるのは、花火だから。
ミナセたちの上空、数体の妖魔が、羽ばたきながら、地を見下ろしている。雲で斑な夕空を背景に、数も見定めにくいが、それぞれ腰に剣を佩いているのは判る。
逃げたい、と、思う気持ちの一方で。こんなときイズナならどうするだろう、という連想が、胸をかすめた。
背に負った木刀を強く引く。背負い紐がばらりと解ける、そうなるように結んである。
鞘ごと手にした木刀を、すらと抜いた。突き刃の先が、あらわになる。──羽根を狙えば一人くらいは引き揚げさせることができるかも。
妖魔は鋭く降下してきた、が、木刀を手にしたミナセを避け、別の女子高生を空中へと吊り上げる。
「ナズナの妹は、どこだ!」
妖魔が吠えた。よく見ると、妖魔の羽には、傷の跡があった。イズナが傷つけた位置に。……イズナが羽根を裂いた、あの妖魔なのだ。妖魔に襲われた話は多くあっても何か尋ねられたという話は聞いたことがなかった。もそも妖魔が言葉を話すことだけでも意外だ。
「イ、イズナは、来てませんっ」
悲鳴のような答えは、地上にまで聞こえてしまう。
「あの連中の中にはおらんのか。では、どこだ!」
妖魔は、逃げ惑う制服姿の少女たちを睥睨する。
「家だと、思う、けど」
「家はどこだ」
「知らない……」
涙声になっている。
「誰なら知っている」
捕まったクラスメートが、ミナセを見た。目があう。
「教えるなら、下ろしてやるぞ?」
言われた彼女の顔がくしゃりと歪んだ。ミナセを、指す。
妖魔はやや降下する。狙われたと悟ったミナセは走り出した。ちらと振り向いた視界の隅、妖魔が、背丈ほどの高さから少女を放すのが見えた。あれなら怪我もないだろうと、逃げるのに専念する。
数体の妖魔が、次々にミナセを狙ってくる。幸いにして、捕まえるのが目的らしく、武器は抜いていない。走りながら、影が近くなれば、振り向きざまに翼を狙う。相手は複数、入れ替わり立ち代り襲ってくる。街路の壁際に追い詰められて、足が止まり、ただ、繰り返し突く。息が上がる。剣道で習った型で、きっちり突くというより、ただ木刀を振り回しているようになってくる。掌が汗ばんだ。
手が滑った、と木刀を握りなおした瞬間の隙、ミナセの二の腕に、妖魔の爪が食い込む。あっ、と思う間に、体が宙に浮き上がる。ばさ、ばさ、ばさ、と、妖魔の翼が羽ばたくたびに、地上が遠くなっていく。町並みが眼下に広がる。妖魔のいる空を恐れるかのように地面に貼り付いた、黒瓦の家たち。ところどころ、大きな木や、物見櫓がにょきりと突き出している。一等高いのはイズナの家の庭の、あの木。そっちを見ないように、目を逸らし。
「ナズナの妹の家はどこだ」
妖魔の声に、視線を上に転じた。羽ばたきのタイミングに合わせて真近から突けば、翼を破れるだろうか。高度が下がってくれればいいが、落とされたら? 考えると、手がすくむ。
「ナズナの妹の家はどこだ」
耳元に、妖魔の声が粘りつく。振り払うように、かぶりを振った。──言うもんか。こいつらなんかに、言うもんか。
「強情な小娘だ」
妖魔は、手を離した。
ひゅーっと落ちた。恐怖に意識を失いそうになる。別の妖魔が空中でミナセのスカートを掴む。音を立てて布に裂け目が走ったが、辛くも落下は止まる。スカートだけで体重を支えられて、食い込んだウエストで吐きそうだ。
最初の妖魔が回りこんできて、傷ついた肩を再び掴まれ、吊り下げられる。ずきりずきりと肩の痛みが、心まで侵食してくるようだ。
「ナズナの妹の家はどこだ」
妖魔の声が、しつこく繰り返す。
そのとき、ミナセはバイクの爆音を聞いた。地上を見下ろす。魔狩のバイク。魔狩が来てくれた。いいよね。もういいよね。イズナにだか、自分にだか、小さく言い訳をする。
またしても街中に妖魔出現、の報を受けたアマルカンは、バイクで現場に急行した。
妖魔が空中に吊り下げた少女に見覚えがあった。学校襲撃のときに、その場にいた一人。アマルカンがイズナの家を訪ねようとしてついに訪ね当たらなかったときに、ばったり出会ってしまった少女。けれど、イズナの伝言をもって、詰め所にきたとも聞いた。イズナの家を知る少女。
その少女が、いま妖魔に捕まっている。服は無残に破れ、肩口は妖魔の爪あとで血まみれだ。
妖魔は少女にしきりに何かを言っている。語までは聞き取れないが、妖魔の顔に不気味な笑みがはりついているのは、見てとれた。
少女はずっとかぶりを振っていたが、とうとう、首を縦に振る。震える手を伸ばして、一つの方向を指さした。イズナの家の方角。そして、これで下ろしてもらえるはず、と思ったのか、期待をこめた目で妖魔を振り向いた。
アマルカンが呆然と見上げる上空、妖魔が高笑いをした。少女を支えていた手が、大きく動いた。みし、地上までいやな音が聞こえ、腕がもぎとられる。傷口から鮮血が吹いた。少女がもがく。妖魔は、平然と、もいだ腕を、他の妖魔に投げる。力弱く暴れる少女の片足も捉え。それから、足を裂き取った。血と内臓まじりの赤い粘液が、ぼとぼとと地上に降る。腸が垂れ下がる。少女は、もう、動かない。下から見ていても、血の吹き方が違う。心臓が止まったと判る。
妖魔は、少女の体をちぎっては、仲間の妖魔たちに投げ与えながら、飛ぶ。少女が指さした方向へ。
妖魔たちは、それに従って飛びながら、与えられた肉片を齧り、腸を啜る。
地上からの攻撃が届く高さではないのが口惜しい。アマルカンは、ただバイクで後を追う。怒りが、腹の底に蟠る。
日は地平線に沈もうとしていた。暗く重い雲が、上空に渦を巻き、夕焼けの赤と闇の黒の不吉な風景をかたちづくる。妖魔たちが陽光を恐れずに行動する時間。
五体の妖魔は、一本の大樹に、鳥が枝に止まるように、止まった。
アマルカンも、その木の見事な枝ぶりに見覚えがあった。イズナの家。木はその庭にある。木の枝からは案山子のようなものが下げられていたが、魔狩である彼にはそれが妖魔を相手にする剣の稽古のためだろうと見当がついた。
アマルカンは、暗がりが落ちつつある中を見渡して、庭先に立っているイズナと祖父母を見た。イズナは張り詰めた表情で霊剣を抜き、祖父母を背にかばっている。イズナの傍らで、祖母がぞくりと身を震わせた。
木の上から、妖魔が、イズナの足元に球遊びのように何かを投げた。イズナの足元でころりと転がり、止まる。イズナの視線が、それに止まり。それが、人の生首であることを知った。
「ミナセ!」
イズナの声が、高く絶叫した。
「変化っ」
アマルカンは、力を篭めて声を放つ。アマルカンの手のなかに槍とみまごう長刃が出現した。
霊武器を手にしても、大樹の上でニヤニヤと笑む妖魔には届かない。焦燥と怒りが、沸騰した。
一瞬、意識が弾けた。耳を聾する音響とともに、視界が光に覆われる。霊武器が光り、一筋の蒼い稲妻に凝る。轟音と共に、大樹が裂ける。
「きゃぁっ!」
アマルカンが思いもかけなかった方向から、悲鳴が上がった。
「おばあちゃま!」
「ユキヌ!」
続いたのは、イズナと、イズナの祖父の声。
妖魔が止まった木は、稲妻と同じ蒼い色に発光し、イズナの祖母の姿も、同じ蒼光に覆われている。物静かな老女の輪郭が、蒼白の光の中で、炎を吹き、よじれ、ねじれて、消えた。木像が燃えつきるように。
確かめる間もなく。妖魔の影が視界をかすめる。五体いた妖魔のうち、二体は雷で焼け焦げて落ちている。だが全滅はできていなかった。雷の光に、視界が正常ではないのは、人も妖魔も同じらしい。下界を見回しながら、上空をふらふらと廻っている。
が。突然、生き残った三体が剣を抜き、イズナとアマルカン、両方に襲って来た。
打ち込まれる竜角の刃を、刃で受け止める。キン、という、音が重なる。
次第に濃くなる宵闇のなかで、イズナの剣とアマルカンの剣が、光をまとう。イズナが剣を、振り、払うたびに、白銀の光の残像が舞う。アマルカンの長剣の蒼白と交錯する。その力が、霊力に相関することを、アマルカンは経験から知っている。
相手は三体、こちらは二人。友の死、祖母の異変に動転しているはずなのに、イズナの剣の光は衰えない。
むしろ。一気に力を放って雷を呼んだアマルカンのほうが、長剣の先、蒼白の光が薄れ始めていた。それが判るのだ、妖魔の攻撃がアマルカンに集中する。そこへイズナが割って入る。ちら、と、見た表情は、悲しみよりも妖魔への怒りに意識を集中し、己を支えているのが判る。
何がどう変わったのか、イズナかアマルカンの刃が妖魔のうちの一体に傷をつけたのか。突然、妖魔たちが飛び立った。雲がかかって斑に暗い夜空を、密集して飛ぶ影が遠ざかって行く。
アマルカンは、長剣を非在に還す。息が、荒い。身体の疲労もかなりのものだが、自分が起こした事態を、アマルカン自身まだ把握しきれていない。
イズナは、と、見ると、落ち着きなく周囲を見回していた。
「おじいさま?」
それはもう、先ほどまで妖魔と対等に渡り合っていた、若き魔狩の声とは思えない。心細げな少女のものだ。
「おじいさま? おじいさま、どこ?」
そういえば。老人の姿が見えない。
「おじいさま!」
見つからないだろう、とアマルカンは思う。老女は、人族ではなかった。おそらく精霊、大樹に憑くという樹霊だろう。樹霊は、特定の木に憑いて力を得る。人に木彫の細工や、生薬による医術を教えたという言い伝えがあって、精霊のなかでも優しい種族だという。
樹霊の老女と夫婦だったというなら、おそらくは、老人のほうも精霊、魔狩に正体を推測されることを悟って、姿を消したのではあるまいか。
アマルカンはバイクのライトを燈して、右へ左へ、周囲を一渡り照らしてやる。やはり、老人の姿は見えず。戦闘のあいだ忘れられていたミナセという名の少女の首が転がっているのが、照らし出されただけ。
バイクの爆音が近づいた。
「すまない! 遅くなった」
今日は何箇所も妖魔が出た。一番経験の長い《蒼の長剣》アマルカンが、複数の妖魔が出た報を追い、他は《黒の重斧》ネルソン=ガロウ・《琥珀の双刃》コトハが、それぞれに分担していた。
「《蒼の長剣》、無事か?」
「そっちは?」
「無事、保護してるわ」
「こっちもだ」
コトハとネルソンが各々に答える。アマルカンは、「こちらも無事」とは返せずに、黙ってイズナのほうに視線を向けた。
「さっきの雷の音は、ここか?」
裂けてくすぶる大樹に気づいて、ネルソンが呟く。アマルカンはかぶりを振った。
「私の、爆威だ。……あやうく、この子の家を焼くところだった」
アマルカンにそう言われて、ネルソンは、この子、といわれた少女に目をやった。先日、霊武器を呼んだ少女が、地面に膝をつき、何かを見つめている。それが、血塗れの生首であるのに気づいて、ネルソンとコトハは顔を見合わせた。
イズナは、泣いてはいなかった。ただ呆然と、それを見つめている。
「友人だそうだ……、それに、この子の祖父母も……」
言いかけて、アマルカンは口を閉ざした。どう説明すればいいのか。自分がイズナの祖母を殺したと告げるべきか。だが、それを告げたら、イズナはどうなるのだろう。精霊の王妹ラローゼと血を引く娘。祖母と名乗った樹霊は死んで、祖父と名乗った精霊からは見捨てられた子。魔狩志望だと言っていたが、仲間にそれを明かすのは、もっと信頼関係ができてからにしてやりたい。
アマルカンの沈黙を、ネルソンとコトハは、「食うために攫われた」もしくは「殺された」と解釈したようで、小さなため息を交わした。
「イズナは、今夜うちで預かる。コトハ、詰め所までバイクに乗せてやってくれ」
アマルカンの声に、イズナが、きっと目をあげた。
「ここで祖父を待ちます」
アマルカンは、イズナに歩みより、囁く。
「あの二人は、君の祖父母じゃない」
「バカなこと、言わないで!」
イズナの声は大きいが、アマルカンは声を抑えたまま、続けた。
「君も見たはずだ。人はあんな燃え方はしない。以前に話しただろう、私は、君の父上であるカイとは友人同士だった。シズサも知っている。……二十年前、二人ともすでに両親がなかった。君の祖父母は、二十年前にはすでに亡くなっていた」
イズナの視線が揺れた。
「とにかく、今夜は来い。後でゆっくり話を」
ここまでは、イズナに言い、
「殺された子の家をまわってから、詰め所に戻る」
と、魔狩仲間たちに告げる。
「いや……、犠牲者の家は俺が行く。その子を、早く連れて帰ってやってくれ」
アマルカンがミナセの家へ向かえば、帰宅はそれだけ遅くなる。イズナへの配慮と同時に、ネルソン=ガロウの申し出は、爆威を起こして消耗しているアマルカンをも思いやってくれているのだろう。ネルソン=ガロウは、代々の魔狩の家系だ。爆威がめったにないとはいえ、それがどういうものか、聞いたことがあるに違いない。
「助かる」
アマルカンは、ありがたく受けることにした。
「《黒の重斧》を狙う妖魔はいないと思いたいけど。気をつけて」
コトハは、イズナには、置手紙をしておけば祖父が戻った時に判ると助言し。イズナは、一度家に入った。置手紙など書く暇がないほどに、すぐに出てくる。手に、布を数枚持っている。死んだ友の顔についた血を、濡らして来た布で、恐れ気もなく拭い始めた。ネルソン=ガロウはその傍らに膝をついて、手を出そうか出すまいか、迷う風だったが。結局、イズナからミナセの自宅の場所を聞いただけだった。イズナは、清めた首を、乾いた布で包み、ネルソン=ガロウに渡す。普段、がさつなところもあるネルソンが、珍しいほどに丁寧な手つきでそれを抱えると、バイクを発進させた。
イズナは手早く祖父への手紙を書いて卓に置き、一夜の泊まり支度をもって、コトハのバイクの後ろに乗った。
魔狩が戻った詰め所は、慌しい。魔狩から保護できた者と犠牲者の報告を聞き取り、記録に残す。事務方は、イズナにも事情を聞いたが、途切れがちの答えをショックのせいと思ったらしい、祖父母は行方不明という記載になった。
アマルカンの自宅への帰路は短いものの、バイクは置いて、徒歩である。また妖魔が襲ってくる可能性もあった。
「変化」
アマルカンは、静かに、声にする。長剣が掌に戻った。イズナが振り向く。
「私はこれを、祖父から継いだ。戦闘時のみ現出させる霊武器は、これしか知らない」
アマルカンは、それだけ解説した。
霊武器は、人間ではなく、匠精が作ったものと言い伝えられている。霊武器に必要な霊力は、霊武器の大きさと比例すると言われていた。正確には、切っ先と使用者の距離に比例する。現在知られている霊武器で、もっともその距離が大きいのは、竜角を削り出した弾を発射する霊銃だが、実用されていない。アマルカンの長剣はそれに次ぐ。変化という現象、そして霊武器の大きさ、実際に使用されている中では、もっとも霊力を必要とする霊武器の一つだが。そこまでイズナに告げる気はなかった。
「妻のマイヤも息子のマキサも、私が魔狩であることを知らない。その秘密は、守ってもらいたい」
イズナは諾とも否とも言わない。彼女からすれば、アマルカンはユキヌを殺した仇である。いきなり、秘密を守れと要求されても、呑めないのは当たり前だろう。
「妻も子も、普通の市民だ。私にどれほどの罪があるとしても、家族には罪がない」
「……やつあたりなんて、しません」
これ以上の約束は引き出せないだろう。アマルカンは、ほっと息をつくと、霊武器を非在へ還し、扉の呼鈴を鳴らす。マイヤが顔を出した。
「この子をしばらく預かることになった。カイの娘だ」
「カイさんの?」
マイヤが、目をみはる。
「この子の名はイズナ。祖父母と暮らしていたそうなのだが、今日、妖魔の襲撃にあって、一人きりになった」
「まあ……、どうぞお入りになって」
アマルカンと同じ歳まわりにもかかわらず、マイヤは今もどこか少女めいた部分を失わない。素直に驚き、素直に同情し、イズナを招き入れる。
「父をご存知なのですか?」
「アマルカンのお友達……、以前、一度だけお会いしたことがあって」
「カイが亡くなってから、娘さんの行方が分からなくなっていたんだが……、こんなことで巡りあうというのも悲しいものだな」
マイヤが、イズナを、大きな窓のある食堂へ導き、椅子を勧める。
「私も、ずっと昔、両親を妖魔に殺されたの」
椅子に座ったイズナの傍らで、マイヤが囁くような声で言った。
「この子に少し話がある」
アマルカンが、マイヤに告げる。
「判りました、先に寝ませていただきますね」
マイヤは、眠気を妨げない香草茶と手作りの焼き菓子を、手早く卓に並べた。
「母さん、僕のは?」
「マキサ、ほしいの? 仕方ないわねぇ」
扉を開いて顔を出したのは、アマルカンに似た顔だちの整った少年だった。
ミナセから剣が上手いと聞いていた、二年生だ、と、イズナは不思議なほど鮮明に思い出して、奥歯をかみ締める。ミナセは、もういない。
マキサのほうでも、イズナの顔くらいは学校で見かけたことがあったのか、なぜ自分の家にこの子が、という顔になる。
「妖魔の襲撃でご家族を亡くしたのだ。しばらく預かる。名はイズナ。私の、亡くなった旧友の娘さんだ」
アマルカンに紹介されて、
「あ……」
若いマキサは、こんな事態の挨拶には慣れないのだ、黙礼だけで、イズナに弔意を示す。自分の父親がイズナの祖母を殺したなど、想像にも及ばないだろう。
「アマルカンは、イズナさんに話があるのですって」
妻は、香草茶と菓子を一人前、盆に載せると、マキサに手渡した。マキサはそれを持ったまま、自室らしき扉へと消える。
妻と息子がそれぞれ自分の部屋に入ったのを確かめ、アマルカンは、文箱から封筒を出してきた。封を切り、さかさにする。卓の上に、二つの、揃いの指輪が転がり出る。貴石を刻んだものに見える、細かな細工を施した指輪である。
「ご両親のものだ。内側に銘がある」
イズナは手を伸ばし、指輪を摘んだ。その指が小さく震えているのを、アマルカンはいたいたしく見やる。
「シズサ・ラローゼ、二にして一、ともに我が愛する者なり。カイより」
読み方はこれでいいのか、と、確認するように、イズナは小さく声に出す。アマルカンが頷くと、二つ目の指輪を読んだ。
「カイ、われら二人が共に愛し、共に傍らにあると誓う者。シズサ、ラローゼより。……ラローゼ?」
「ラローゼは、精霊王の妹の名だ。二十年前、精霊王とエドア=ガルドの連盟交渉があった。使者として来たのが、王妹ラローゼだ。そのときすでに、カイとシズサは婚約を交わしていた」
そして、アマルカンは、かつてカイに聞いたことを、イズナに語った。ラローゼをかばって、シズサが死んだこと。シズサの命を呼び戻すため、ラローゼがシズサに憑いて、シズサが半人半精霊の存在となったこと。
カイがシズサと結婚するといい、アマルカンは反対した。カイが霊武器を持ったまま、シズサを連れて姿を消してしまった。
「魔狩の引退はあるが。霊武器は詰め所に返上する。妖魔を倒すための、貴重なものだから」
当時の同僚ザサラ=ガロウも、領主エド=ア=ガルトも、姿を消したカイとシズサを非難したが、アマルカンは理由を彼らに明かさなかった。カイが身を隠したのは、半妖となったシズサが領主や魔狩……アマルカンたちから危害を加えられることを恐れたから。アマルカンが領主に報告しなかったのは、領主がカイたちを追う事になるのを避けたかったから。
だが、数年後。カイは、エドア=ガルドの援助を受ける詰め所とは別個に、シズサとともに魔狩の活動を再開し、死んだ。
「お前の祖父母を名乗り、お前を育ててきたのは、おそらく精霊だ。そしてお前自身も……、お前を生んだとき、お前の母親は人間でもあり精霊でもある、特異な存在だった。そのことを明かして暮らすか、隠したまま魔狩の一人になって生きるか、……自分で決めろ」
自分が純粋な人間ではなかったことを今知った十五歳の少女に強いるには、重い決断であることは、アマルカンにも判っていた。決断を迫る自分を、残酷だと感じながら、しかし、この毅然とした目をした少女ならそれを受け止めきれるだろうとも、思えた。
「祖母が本当は何者だったとしても。私をずっと育ててくれた人、可愛がってくれた人であることには、変わりありません。貴方が、祖母を殺した人であることも」
イズナは、それだけ言って。まっすぐにアマルカンの目を、見た。
「いいだろう。私を憎め」
アマルカンは、イズナの目を見返した。
「憎しみは、たぶん、お前を支える」
◆
妖魔王リュウガの膝元、妖魔の城に棲まう妖魔たちは、ほぼ3分され、継嗣ナムガ、その妹リュア、異血の王子サガに預けられている。トキホに人を狩るべく遣わされるのが、ある一日にナムガの配下であれば、翌日はリュアの配下、その翌日はサガの配下、と、交代してゆく。
通常、妖魔は、トキホで獲物を捕らえるとすぐに、暴れる気力が失せるほど深手を負わせ、妖魔の城まで掴んで飛んで来る。そして、玉座の間に運び入れる。壁にはすべての妖魔の告存晶があり、中央には王座が設えられた一室である。
獲物は、ここで屠られる。脳と髄がまず王と王子王女に献じられ、一部が、人を捕らえた功績者にあらためて下賜される。王子王女といっても、サガがこの儀式に参加することはないので、ナムガとリュアということになる。
残りの肉と内臓は、城にいる全ての妖魔たちに配分されることになっていた。
今日、リュアの配下たちが持ち帰ったのは、損壊著しい若い娘の死体が一つ。首は無く、息の根は当然止まっている。壁の告存晶には、三つの空隙が生まれていた。
王の前にリュアが進み出る。
「父上、まことに申し訳のないご報告をしなければなりませぬ」
リュウガは、わずかに顔を上げたようにも見え、ただかすかに身じろいだだけにも見えた。
「サガより譲り受けた兵に、わたくしの配下の風(ふう)に慣れてもらわねばと思いまして。数人をまとめてトキホに遣わしたのですが。数に怯えたのか、魔狩めが爆威を起こし、三兵を失いました。爆威に当たり弱った身体を、獲物を食ってようやく帰って来たよし、どうかお許しを願いたく」
リュアはうやうやしく頭を下げる。事実と違う報告に、ケドイら兵たちは居心地悪げに身体をもぞつかせたが、王女の言に逆らう勇気はない。
「……リュアの兵、補給はせぬ。よいな」
リュウガ王の声に、感情は感じられない。
ナムガは、深く頭を下げて、父の命令に従うことを表した。リュウガは、わが娘の嘘に気づかないのだろうか。かつての王は、その霊力によって嘘を暴いたと伝えきく。もう同じことができないほどに老いさらばえたというのか。それとも、ただ関心がないだけなのだろうか。
リュアは勝ち誇ったように、ナムガにちらと視線を投げる。ほら、大丈夫でしょう? というように。