異血の子ら

■ニエルの旅II■

 ニエルは、小精霊(ミア=セク)のキラムに起こされた。
「だいぶ、歩くからな」
 朝早かったが、眠っている間に、枕元に何かの木の実が幾つか置いてあった。ごつごつとした黄緑色の実で、良い匂いがした。キラムが取って来たという。ありがたく歯を立てようとしたら、皮を剥くんだと笑われた。言われた通りに皮に爪をたてると、簡単に剥ける。白い薄皮に包まれた、ジューシーな中身は、甘酸っぱくて美味い。
 丘から降りる道は、獣が草を踏み分けたほどの細く消えかけた道。しかしキラムのいた広場が人の手によるものなら、この道も人がつけたものだろう。キラムが小さな体で先に立ち、藪と草をがさがさと掻き分けて行く。
 歩き出して、ニエルは気づいた。体が異様に重い。もしかして、水か木の実が良くなかったか、と思ったが、腹を下しているわけでもなかった。
 それに。ニエルだけではなく、先を行くキラムの後ろ姿も、見るからにしんどいような歩き方だった。どちらも摂っていないのに。
 体はだるかったが、ニエルは、歩くのに苦がない。一歩一歩方向をコマンドすれば、機械化された脚部は体力に関係なく動く。もっとも、だるさに負けて眠ってしまうと、足も止まってしまうだろう。
 丘を下りきり、川辺に出ると、踏み分け道よりはもう少し道と呼ぶにふさわしい歩き心地になった。舗装などはなく、元は砂利を敷いたのだろう。何度か水をかぶったものらしい、砂利の隙間を乾いた泥が埋めたぼこぼことした道である。体の異常がなければ、川の澄んだ流れ、木々の鮮やかな緑、純白の薄雲を刷いた青い空など、ニエルの生まれたイーザスンでは現存しないものたちをじっくりと鑑賞することもできるのかもしれないが。褒める言葉を発する余裕もなく、黙々と歩く。
 ミューだけは元気いっぱいで、低く飛んでは少し先にあるものを報告し、高く飛んでは街までの距離を調べてくる。キラムは、ミューの声が聞こえないだろうと思うくらいには先を歩いていたので、ミューが有益な情報をくれるたびに、ニエルが声を大きくしてキラムに教えてやる。
「道案内……、そいつに任せて良さそうだな」
 振り向いてそう言ったキラムは、役割を取られてスネた様子ではなく。ひたすら、辛そうだった。
「少し……、後ろ歩いてもいいか?」
「遅れるなよ」
 そんな会話の後で、ニエルがキラムを追い越して、先になった。ミューはくるくると前後を飛び回り、キラムとの距離が開くと、
「ちび来ナイ!」
 と警告の声を上げる。ニエルが止まって待つ間、キラムは懸命の表情で足を急がせているのが判る。遅れるふりをして、別行動になりたいわけでも、なさそうだった。
 道は、川の流れに沿って、緩やかに下っている。ところどころ、川に小さな滝のような箇所があると、道も自然石を階段のように伝って降りるようになっている。うっかり足を滑らせたら、怪我をしそうな急な斜面もあった。
「大丈夫か? ……支えてやろうか?」
 岩の角を手で押さえ、後ろ向きにぎこちなく降りてくるキラムに声をかけ、数歩、歩み寄ろうとした。
 キラムはぶんぶんとかぶりを振って、
「先に降りててくれ!」
 憮然と言ってよこす。
 遅れがちのキラムの歩調に合わせながら、丸一日歩いた。何度か休憩を提案したのだが、日が暮れる前に街に着きたいと、キラムは頑固に休憩を拒んだ。
 目的地へ近づくと、道の両側は、同じ植物がずらりと並べて植えられていた。食べ物になる植物を栽培しているようだ。
 ミューのように高度をとらなくても、建物の輪郭が見えるようになったのは、ずいぶん日が傾いてからだった。それを見つめながら歩みを進めるうちに、ひとかたまりの建物を囲む塀が、チカりと瞬き、チラチラと光を発し始めた。と同時に、建物の窓の形に明かりがともりはじめる。
「塀から放電火花?」
 城壁といえるほど立派なものではないが、塀の上に鉄条網を張り巡らして、空中に火花を放っている。なんのために? 単なる防犯用の高圧線なら、こんなに火花は出ない。何かのコケおどしだろうか?
「あぁあ……」
 キラムが深いため息をついた。
「どうした?」
「うん……、やっと着いたな、と思って」
 しかし。塀の途中に開いた門の前まで来ると、キラムは、門を入ろうとはしなかった。門に施した飾り彫刻を見上げている。
「ルアブ、と書いてある。十七都市じゃない……」
 キラムが、がっくりと肩を落とす。
「なんだ、それは」
「十七都市には、翔者(テレフム)がいる。トキホまで、運んでくれる」
「飛行機、みたいなものか?」
「飛行機ってなんだ? 十七都市にあるのは、魔法陣だ。船なんかで行ったら、何日も何日もかかってしまうからな」
 ……よくわからない。
 キラムは、とぼとぼと街の少し脇、川のへりにある木の下へと向かった。疲れきったように、木の幹に寄りかかる。
「なぁ。悪いんだけど。街に入って、今日が何日だか聞いてきてくれないか? おいら、自分が何日眠ってしまっていたのか、皆目わかんないんだ」
 それだけ言うのもやっとのように、ぐったりしている。
「わかった」
 ニエルは、ミューをポケットに隠して、門をくぐった。入ってみると、街というのもおこがましい。人口は数百というところか、粗末な板づくりの家が並び、その向うには、塀の上、船のマストが覗いている。ミューで見た地形も考えあわせると、船を休ませるのに良い天然の入り江に港を設け、船着場に臨んで高い壁に囲まれた小さな村があるという形だ。
 小さな荷車を押した、夫婦らしい二人組を見つける。荷車には赤い実がいっぱいに積まれている。二人は、片手でとりわけ赤く熟した実を握ってかじりながら、もう片方の手で荷車を押している。衣類は、ノ=フィアリスのアヤカシやキラムのものにくらべれば、むしろ、イーザスンのものに近い。人間たちの間には、電気もあれば織機も縫製技術もある、そういう世界であるようだ。
「やあ、マヌケな質問で申し訳ないが、今日は何日だ? ついでにその実を少し譲ってもらえると有難いんだが」
 この世界の金などないし、売れるものもすぐには思いつかない。ダメでもともとと、声をかけてみる。夫婦は顔を見合わせた。
 男が何か言った。何を言っているか、判らない。女は、ニエルに少し怯えた目を向けつつ、男に何か答えた。全く判らない。
 ──言葉が、通じていない。
 突然、二人は、食べかけていた実を放り出すと、両手で目一杯、荷車を押して遠ざかり始めた。ニエルは反射的に追おうとしたが、これ以上、出会い頭の相手を驚かせるのは得策ではない、と思い直す。棒立ちに見送り、二人の姿が見えなくなってから、放り出された実を拾った。無残につぶれ、土がついていたが、捨てる気にはならない。今夜はこれしか食物はないかもしれないのだ。川の水で洗って食べた。酸味と旨味があり、美味いのだが、かえって腹が減るような味である。
 キラムのいる場所まで戻りながら、ハルシアとは言葉が通じていた、と、ニエルは思い返す。ハルシア。ノ=フィアリスのアヤカシたち。それにキラム。彼らとは言葉が通じた。その感覚が当たり前すぎて、あまり深く疑問に思わなかったのだが、イーザスンの二つの国、モンタニとセシドでさえ、言葉は違った。世界が違うのに、言葉が通じるほうが、よほど変だ。
 思い返すと。(ア=セヴ)たちとの会話は、言葉……音を耳で受け取るというより、脳の奥に響いていたように思う。
「テレパシー……?」
 イーザスンでは昔、心と心を、機器を通さず、直接接続するという技術が研究されたという。それに似ているのかもしれない。
 ぐったりとしているキラムに、
「言葉が通じなかった」
 と報告すると、キラムはそれほど意外そうな顔もしなかった。
「ニエルの言うことは、他の人間たちより聞きとりにくいからな。なんかが違うんだろ」
 なんかが違う、とは、ひどくあっさりした、曖昧な感想である。
「じゃ、いつだか判らなかったか」
 そちらのほうが、キラムには重大事らしい。もそり、と、気だるげに立ち上がり、文字どおり足をひきずるようにして、さっきは目の前で引き返した街の門へ向かう。門の上にも放電の火花がはぜている。そこをくぐる瞬間、キラムが、
「う……」
 と小さくうめいたのが、ニエルの耳に聞こえた。
 その後は返って少し回復したような歩調になった。やがて、ニエルとキラムは、市場らしき場所にたどり着いた。
 日の落ちかけた夕刻の市場は、村の規模に比べるとずいぶん大きい。おそらくは船に乗る者たちを目当てに売るのだろう。植物の実や葉、根を束ねたものを売る店。干した魚の横にあるねじれた塊は、干した肉か。穀物に粉。その隣には、イーザスンのブロック状の主食に似たものがあった。ニエルの知るそれは、大量培養したプランクトンを焼き固めて作るが、この世界で何を使って作るのかはよく判らない。囲いの中でコッコと啼きながら頭のトサカを振っている鳥は飛べないのだろうか、それも売り物らしい。
 それぞれの店が、仕舞い支度をしていたり、あわただしく声を張り上げていたりする。言葉は判らないが、閉店前の最後の売り込みだろう。
「なぁ! ごめんよ。今日は人間の暦で何日だい?」
 ニエルにはキラムの言葉は判ったが、話しかけられた人間のほうの返事は判らなかった。
「えっ、おいらを知ってる? 丘の上の結界にいた? そっか、え? おいら、ずっといた? ……十二年?」
 キラムは最初はニエルを意識して相手の言うことを復唱していたようだが、次第に驚きが先に立つ様子になった。
「……うん、ごめんな、もうあそこの結界はないんだ。うん。罠回りだのに、困るよな、ごめんな。でも、おいらもう行かなきゃいけないんだ」
 キラムの肩が、しおたれた。
 市場の喧騒の隙間に、なにやら異質な音がした。音楽、だ。思わず目をやる、ミューがニエルの関心の先を察知して、人々の頭上を飛び越え、飛んでゆく。その金属の翼を、人々の目線が追った。
 そこにいたのは、笛をふく少年と、踊る少女で、少女の前には小さな箱がある。そこにぽつりぽつりと投げ入れられるのは、この地の通貨のようだ。
 ミューは少年と少女の上をぐるぐると廻ったり、少女の踊りに釣られるように高く低くじぐざぐ飛びをしたりする。人々が指差して何か言っているのに気づくと、サービス精神を発揮して、宙返りを打ったりし始めた。笛の曲が嬉しげに速度を増した。人々は、ミューの「芸」も、笛と踊りの一部だと思ったらしい、箱に投げ入れられるコインが急に増えた。笛の曲がことさらに盛り上がり、踊りが激しさを増す。大きな一吹きと、タンと足を鳴らす決めポーズで、音楽が終わった。
 ミューは満足しきったように、ニエルのところに飛び戻ってきて、肩に止まった。
 少年が何かを言った。
「このカラクリ鳥はあんたのか、と言ってる」
 キラムが説明をしてくれた。
「そうだ、と、答えてくれ」
「譲ってくれないか、だってさ」
「それはダメだな。ここには辛うじて電気があるようだが。充電ユニットを作り直してやらないと、すぐ止まっちまう」
 キラムから拒否を聞いて、少年はがっかりしたようだった。キラムは、
「カラクリ鳥が欲しくなるほど稼いだなら分け前をよこせ」
 交渉を始めた。キラムがニエルを指して、
「今夜食べるものもないんだ」
 と言い張ると、少年は、金ではなく、かたまりになった食べ物を分けてくれた。十七都市のどこかを、という問には、ファルゼンという名の街への道も教えてくれた。
 港町なので、宿も存在はするようだったが、宿代がない。せめてどこか軒先を借りて寝ようかときょろきょろするニエルに、キラムはどうしても街の外で野宿すると言いはった。食べ物を手に入れてもらった負い目もあって、ニエルはしぶしぶ街の外へ出た。
 もらった食べ物は、ぱさぱさとしていたが、よく噛み締めれば滋味があり、腹に溜まった。水で喉を潤しながら半分を食べ、残りを翌朝に回す。
 昨夜と同じく、キラムが結界を張ったという木の陰に横になる。結界そのものはニエルの目には見えないが、キラムの腕輪がかすかな光を放っている。ミューは、結界の外で、見張りだ。異常があったら知らせろ、と、キラムに聞こえるように言い。
「キラムが妙な行動を取ったときにも、そっと知らせろ」
 言葉ではなく、脳通信で伝えた。
 脳の一部がちりりと刺激される感触を感じたのは、真夜中だった。ミューからのアラートだ。キラムを気にしているせいか、ニエルの眠りは浅かったが、できるだけぐっすり眠っているふりをしていた。
「博士! 起キテ!」
 音のない声で、ミューがニエルを呼ぶ。
 ニエルは、ミューの視界に接続した。眠っている自分が見える。傍らに、キラムが膝をついている。ニエルの顔を覗き込むように、顔を近づける。二本の触覚が、ニエルの額に伸び、触れた。不快な消耗感……、例えていえば、痛みなしに血が流れだすような。
 ニエルは、目を閉じたまま手を動かした。キラムの手首を捉える。キラムは慌てて飛びすさろうとしたが、ニエルは離さなかった。
「何をしている? 毒……?」
 皮膚吸収の毒だろうか? が、ニエルの体内のマイクロ分析システムが、コンマ数秒で、毒を検出していない、と結果をよこした。
「毒? そんなことはしてな……」
「じゃあ、なんだ?」
 キラムのスネた声を、ニエルは遮り、手首を握る力を強める。
「ちょっと霊力(フィグ)をもらってただけだ!」
 キラムの答える声が、悲鳴のようになる。
霊力(フィグ)……?」
「おいらは、風霊(ウィデク)だから、いつもだったら風に力をもらうんだけど……。本当に弱りきって眠ってしまってた、十二年間も。風の力だけじゃ、回復に時間がかかる……。人間の霊力(フィグ)を吸えば、すぐにでも歩ける……から……」
「日中、とんでもなくダルかったのは、昨夜、お前に、その霊力(フィグ)だか体力だか生命力だかを吸いとられたせいなのか?」
「……、ごめん」
 キラムにあっさり肯定されて、ニエルは大きくため息をつく。イーザスンの技術力をもってしても、個体から個体に、体力そのものを移す方法は思いつかない。
 ──こりゃいよいよ、科学の及ばない世界へ来たってことか。
 ニエルは独りごちた。
「大精霊(ア=セク)に会いに行くっていうのは、本当か?」
 こくん、と、キラムが頷いた。
「じゃあ、取引だ。お前が道案内と通訳をしてくれるなら、俺がお前を運ぶ。ただし、体力を盗まれるのは願い下げだ。……この条件でどうだ?」
「……いいの?」
「道案内は、要るんでな」