異血の子ら

■霊剣招来■

 攫われて、翌々日。ナズナは、鳥の声で目が覚めた。前日と同じように食べるものが用意されていたので食べた。いくら豪奢な部屋とはいっても、二日もいれば調度の類は見尽くしてしまう。
 妖魔(ヴァン)が自分を利用する気でさらったこと、それゆえに殺されず生かされていること、そこまでは理解していた。おそらく精霊(ア=セク)の娘であることと関係があるらしいとも推測できていたがでは何をさせようというのかまでは聞いていなかった。なんであろうと妖魔(ヴァン)に協力などするものか、そう心に決めていた。
 前日の通りに匠精(メト)がやってきて、話しかけてみたが、まったく返答がない。小精霊(ミア=セク)でも言葉はわかる、妖魔(ヴァン)とさえ会話ができたのに、呼びかけても振り向きもしない。
「私は、いつまで、ここにいればいいの」
 返答なし。匠精(メト)は、ぱたぱたとベッドを整えている。
「一生このまま、いないといけないのかしら」
 匠精(メト)は、小さな箒で部屋を掃いている。
「着替えたりはできないの?」
 匠精(メト)は、いきなり小さな黒い翼を羽ばたいて、天窓から出ていったかと思うと、一目で上質なものとわかる白い布のようなものを持って戻ってきて。ナズナの服を脱がしにかかる。
「あの……、湯浴みができると、うれしいのだけど」
 囚人の身で贅沢かとは思ったが、ダメでもともとと口に出してみると、匠精(メト)はまた出てゆく。盥が2つ運ばれ、水差しで湯が運ばれた。手ぬぐいらしい布もたっぷり渡され、目隠しになる間仕切りまで立ててくれた。
「ありがとう」
 片方の盥で髪を洗い、汚れた湯はもう片方に空けた。湯を替えて体を清めると、人心地がついた。
 背の半ばまである長い髪を、乾いた布で巻いて、体を拭う。ころあいを見計らって、最前の白い布が差し出された。受け取ってふわりと振ると、布に見えたのは簡単な長衣だった。着こんで、間仕切りの蔭から出ると、匠精(メト)は、長衣の上から柔らかな腰帯を結び、結び目まできれいに整えてくれた。最初は畳んだ布にしか見えなかったものが、すっかり服らしくなる。
 匠精(メト)がぱたぱたと翼を羽ばたいて、出て行きそうにしたので。
「話し相手にはなってくれないの?」
 ナズナはそう聞いてみたが。振り返りもしないで、出ていってしまった。
 
  ◆

 イズナが所属する剣道部では、放課後は、部員同士の練習試合に当てる。以前は積極的に先輩部員にも手あわせを願っていたイズナが、今日は頭を下げて辞し、ひたすらに妖魔(ヴァン)を模した"羽型"での練習を繰り返していた。イズナの姉が妖魔(ヴァン)に攫われたことを知っている他の部員たちは、ミナセを含め、誰もイズナに無理を強いることはせず、練習時間を終わろうとしていた。
 学校は旧市街の中にあり、練習の最後まで残るのは旧市街の中に住む生徒ばかり。妖魔(ヴァン)が旧市街の中に入ってくることはなかったので、夕日が空を染める頃まで練習が続くのが慣例だった。
 雲が出て、まだらに暗がりを作っていた。部員たちは、妖魔(ヴァン)出現の報を知らせるサイレンが鳴ってもどうせ市外の花火に対応したものとそれほど気にとめなかった。練習の最中に街頭テレビまで出現場所を確認に行く習慣もなかったのだ。……しかし。
 いつもなら市外へと出てゆくバイクの爆音が、遠ざからずに、近づいた。このトキホの街でバイクの音がすれば、魔狩(ヴァン=ハンテ)を意味する。半仮面をつけた《蒼の長剣》のバイクは、校門の前で、きしりを上げて止まった。
妖魔(ヴァン)が旧市街に入ってきている」
 《蒼の長剣》が、通る声で、学生たちに告げる。《蒼の長剣》は、この街に常駐する三人の魔狩(ヴァン=ハンテ)のなかでは年長で、指揮役としてもふるまう。
 続くのは、女魔狩(ヴァン=ハンテ)の《琥珀の双刃》と、がっしりとした体躯の《黒の重斧》。それぞれ、半仮面をつけている。
 物見櫓から、奇妙な報告が数分置きに入っていた。妖魔(ヴァン)が、何体も市内を飛んでいる。しかも、人族(ユム)を襲うためにしては、ずいぶん高く飛んでいる、というのである。放電柵を越えるのも、言い伝えの結界石の内側に来るのも、単独行動ではなく複数現れるのも、めったにないことで、なんらかの目的があることは推測できた。
 それが数分前に、妖魔(ヴァン)が合流する、という連絡に変わった。その合流地点にあたるのが、この高等学校だというのだ。
 学校の周囲、あちらからもこちらからも、妖魔(ヴァン)の位置を知らせる花火の音が聞こえはじめる。
「来たわ!」
 《琥珀の双刃》が、空を見上げ、ひらりとバイクを降りて、通り名のとおり二本の霊武器(フィギン)を抜いた。《蒼の長剣》の手にも、何時のまにか、抜き身の長剣がある。
「学生は、建物に入れ」
 《黒の重斧》が、斧を背負い具からはずしながら、野太い声を放つ。
 妖魔(ヴァン)たちは、羽ばたきながら舞い降りて来る。妖魔(ヴァン)は四体、すべて黒翼。一人が、地上を指さす。魔狩(ヴァン=ハンテ)たちではなく、学生のほうを。
 他の三体が、その指さす方向へ、一斉に急降下した。傾いた陽を避けて、雲の暗い色に黒い翼が見分けづらい。
「ミナセっ!」
 イズナの声に、ミナセは自分が立ちすくんでいたことに気づく。他の学生たちは、ほぼ、校舎に避難し終わっているというのに。
 ミナセは、慌てて他の学生を追う。 
 そんなミナセを見ていられなかったのか、イズナがミナセのほうへ引き返してきた。
「イズナ!」
 思わずほっとして、名を呼んでしまう。
 イズナは片手に剣道の木剣を構え。もう片方の手をミナセに伸ばす。応えようと手を差し伸べたミナセの視界を妖魔(ヴァン)が塞ぎ、鋭い痛みともに、視界が揺れた。
 妖魔(ヴァン)の蹴爪が肩にかかったのだと、理解するのに数秒いった。ミナセを傷つけたのは、妖魔(ヴァン)の足先の鋭い爪。妖魔(ヴァン)は、ミナセには目もくれず、イズナの腕を掴んで空中へ引き上げようとし、《蒼の長剣》はバイクごと妖魔(ヴァン)の前に割り込んで拉致を防ごうとし、妖魔(ヴァン)魔狩(ヴァン=ハンテ)を蹴り飛ばした。血飛沫が、飛ぶ。
 ミナセは、駆け出した。四体の妖魔(ヴァン)、八枚の翼が視界を交錯する。連携に慣れないようで、互いが互いの動きを邪魔しあうなか、イズナがからくも武器を避けるのが、視界の隅に見える。
 ミナセは、走って走って、ともかくも校舎に入った。安心したせいか、肩の痛みがどっと蘇る。振り向くと、イズナは、混乱の中で木剣を取り落としてしまっていた。素手のまま身をかわす。《蒼の長剣》は、地面に蹴り伏せられた痛みが残っているのだろう、わずかに動きが鈍い。《琥珀の双刃》《黒の重斧》は、《蒼》と丸腰のイズナをかばいながら、なんとか四体の妖魔(ヴァン)の相手をしていた。
「そこの学生! 校舎まで走れ!!」
 斧で妖魔(ヴァン)を牽制しつつ、《黒の重斧》が、割れ鐘のような声でイズナを叱咤した。
 イズナは従わない。上空から何度でも鋭く降下してくる妖魔(ヴァン)を警戒しながらも、地面に落ちた木刀らしきものをちらと認める。じりじりと姿勢を落として手にとった。一瞬、唖然とする。それは、木刀ではなかった。
「鞘……?」
 それは、鞘。鞘だけ、だった。のだが、しかし。
 夕闇のなか、イズナの手のなかで、鞘は不思議な光を帯びた。きらきらと輝きが集まり、半透明の柄の形になる。ゆっくりと光が収まると、そこにはどうみても確かな実体を持つ、刀の柄があった。
 イズナの表情は驚愕を隠さない。けれど、躊躇う余裕もなかった。すらり、と、刀を抜き放つ。未練なく鞘を地面に落とすと、剣の柄を両手で握り直し。きちりとした斜めの構えをとった。刃が、白銀の輝きを帯びる。まるで、イズナの瞳の強さに呼応するかのように。
 向かってきた妖魔(ヴァン)に一閃。刃の輝きが増した瞬間、あっけないほどに大きな裂け目が、翼に入る。光色の火花が散った。落ちかけた妖魔(ヴァン)の片腕を別の妖魔(ヴァン)が支え、少し余裕ができたところでもう一体がもう片腕の側を支えて、とりあえず空中に羽ばたいている。
魔狩(ヴァン=ハンテ)……」
 うめいた妖魔(ヴァン)の目は、イズナを指している。四体の妖魔(ヴァン)が一斉に飛び立った。怪我した者を支えながら遠ざかる。
「ミナセ……、大丈夫?」
 イズナは剣を……まるで慣れた手つきのように……鞘におさめると、心配そうな表情で歩み寄ってくる。
 抑えねば、と思ったのに。ヒッと、ミナセの喉が鳴った。怖い。怖いのだ。妖魔(ヴァン)たちは、明らかにイズナを狙っていた。そして、イズナの手に現れた不思議な剣。ついさっきまで、姉を攫われた級友だった、同じ剣道部の親しい友だった。でもいまは、どうしても怖さを抑えることができない。
「ミナセ……」
 自分の目が怯えているのがわかる、自分の手足の震えが押さえられない。呆然と立つイズナの目に、悲しい色が差すのを見てとって。ミナセは、目を逸らしてしまった。
 いったん引いたとはいえ。時刻は夕、妖魔(ヴァン)が戻ってくる可能性もある。《蒼の長剣》ことアマルカンは、《黒》と《琥珀》に警戒を頼んで、イズナを自分のバイクの後ろに乗せた。
「この子を送る」
「大丈夫か? 怪我してたんじゃないのか」
 《黒》は気遣う様子だったが、アマルカンは、
「大丈夫だ」
と答えてバイクを発進させた。
「あの剣は、カイのものだ」
 後部座席の少女が緊張しきっているのを感じながら、アマルカンは亡くして久しい友の事を想っていた。詰め所を去ってなお、精霊(ア=セク)の繰る翼に乗って戦っていたカイ。久しぶりに顔をあわせた折り、子がいる、と、ひどく嬉しげに語った表情が、アマルカンの記憶をよぎった。
 
  ◆

 日は、落ちようとしていた。部屋へと訪れたサガに、
「退屈をしているそうだな、ナズナ」
と、いわれて。
「なにもないのです」
 ナズナは、素直に認めた。
「読むものも、書く道具も。縫い物はそう得意ではありませんでしたけど、今なら縫い物でもいいくらいです」
妖魔(ヴァン)は文字で記録を残さない。霊術の晶を使う。お前には開くことはできまい。針や鋏は、与えてはやれぬ、変な気を起こされては、たまらんからな」
匠精(メト)は、話し相手にはなってもらえませんか?」
 血肉を食う妖魔(ヴァン)に、話し相手を頼まないだけの分別は、ナズナにも残っていた。
「彼らは言葉を奪われている」
 ナズナは目を丸くした。
「奪われて?」
匠精(メト)は、誠実な種族ではない。美しいものを作らせ、霊力(フィグ)を分け与えるなら、精霊(ア=セク)にでも妖魔(ヴァン)にでもつく。だから妖魔(ヴァン)についたときに、霊力(フィグ)の術をもって言葉を奪う。術者以外とは、意が通じなくなる。契約の期限が切れる前に逃げれば、言葉は戻らない」
 ナズナは目をしばたく。ひどく酷いことに思えた。
匠精(メト)は、それを承知で妖魔(ヴァン)と契約を結ぶ。そういう種族なのだ、力や、宝玉・金銀を与えられるなら、言葉さえ手放す」
 サガは冷笑を浮かべた。
「そんなに退屈であれば。そなたの話相手に妹子を呼んで来てやろう」
 言いながらサガは、ナズナに赤い結晶を差し出す。
血想晶(プラディースタ)だ。妹子に話すつもりで、これに話しかけろ。大切な話があるから会いたいと言え。厚く遇されているから心配せずに同道しろと。そうすれば、届けてやる。この結晶は、そなたと血の繋がった者だけが開くことができる霊術具(フィガウ)だ」
 サガは、つい先刻、己の配下がイズナの拉致に失敗したことも、イズナが妖魔(ヴァン)を殺す霊武器(フィギン)を得たことも言わないまま、ナズナに要求した。
 ナズナは、驚いて、かぶりを振る。
「妹を連れてきてほしいなんて、言っていません!」
「そなたが退屈だと言ったのだ」
「家族だろうと、友人だろうと! 同じ目に遭って ほしいなんて思っていません」
「多くの物を与えている。不足はあるまい」
「物なんていりません。自由をください。私を人間の街に戻してください」
「それはできぬ。お前には……」
「私は妖魔(ヴァン)の役に立つつもりはありません」
 ナズナは、サガを怒らせてもいいと思った。こんな風に飼い殺しにされているくらいなら、いっそ殺されたほうがマシなのではあるまいか。
 けれどサガは、拗ねた子供でも見たように、軽くため息をついただけだった。
「いまさら帰せるはずがない。……ナホトカはお前の力を知っている」
 祖父の名を突然出されて、ナズナが硬直した。懐かしさと、驚きとで。
「ナホトカは、そなたの力を知った上で。妖魔(ヴァン)の目が届きにくい結界の中でそなたたちを育てた」
 ナズナは息を呑む。旧市街から出てはいけない。その言いつけを破り、境界の外で「癒し」の力を使った日に。ナズナは攫われたのだ。
「ナホトカの手に返すわけにはいかないのだ。お前がどれほど協力を拒もうとな」

  ◆

 アマルカンのバイクが着いたとき、イズナの家は、しん、と静まっていた。
「おじいさま? おばあちゃま?」
 イズナの呼び声にも、応える音はない。
「外出かな……。二人とも外出って、めったに、ないんですけど」
 イズナが不審げに言う。
 イズナの家族がいないことを確認して。アマルカンは、顔を隠す半仮面をはずした。イズナが霊武器(フィギン)を繰ると知った今、アマルカンの側だけが仮面をつけているのは、アマルカンの気持ちにそぐわなかった。
 長い年月の戦いを重ねて傷あともあるアマルカンの顔に向かい合い、イズナは小さく居住まいを正す。アマルカンが自分を、ただの救助対象者とは違う扱いをしていることは、理解したようだった。
「ここで、祖父母と?」
「はい。二日前までは、姉も……」
「失礼だが、ご両親は?」
妖魔(ヴァン)に殺されました。十二年前に」
「ご両親の名前は」
「父は、カイ。母は、シズサです」
 イズナの答えはアマルカンの予想通りだったにもかかわらず。衝撃と感慨で、すぐには言葉が出ない。かつて、精霊(ア=セク)を娶ったことを恐れて、見捨てた友。精霊(ア=セク)の血を継いだ遺児。この子が恐いか、とアマルカンは自問する。抵抗感は皆無ではなかった。だが、カイを失ったときの、身を切るような自省の念に比べれば、精霊(ア=セク)を恐れる感情は抑えこむことができる、と、アマルカンは思った。
 数秒の沈黙を経て、アマルカンは、ようやく問を発する。
「ご両親が、魔狩(ヴァン=ハンテ)だったことは知っているか?」
 イズナが、目を丸くする。
「いいえ」
魔狩(ヴァン=ハンテ)だった。ご両親とも、私の同僚だった。とくにカイは、長らくの、友人だった。ただ、最後の数年は、少しばかりの、齟齬があって。二人は、魔狩(ヴァン=ハンテ)の詰め所には、来なくなっていた」
 ナズナとイズナ、二人の子供たちを身篭ったときに、シズサはすでに純粋な意味での「人族(ユム)」ではなかったはずだ、と、アマルカンは思いを巡らせる。"精霊(ア=セク)であって人族(ユム)"。イズナはおそらくその影響を受けている。イズナ自身がそれを知らないのなら。自分がそれを、イズナに話していいのか、アマルカンは迷う。一昨日は姉、今日はイズナ。妖魔(ヴァン)に狙われることと関係があるのか。
「あなたが今日召還した剣は、……カイの霊武器(フィギン)だ。カイとシズサに、子供がいることは知っていたが、見つけることができなかった」
 アマルカンは、霊武器(フィギン)が、使う者の霊力(フィグ)を吸って、妖魔族(ヴァン=フィア)を倒す力に変えることを説明した。また、霊武器(フィギン)が使い手には相性があり、たとえ魔狩(ヴァン=ハンテ)でも、他の使い手の霊武器(フィギン)は反応しないことも。
 剣は、抜けば霊力(フィグ)を消耗するが、鞘をもって霊力(フィグ)の流出を封じることができる。カイの霊武器(フィギン)の鞘は、自分が預かっていて。戦闘中に倒れたときに、腰につけていた鞘が落ちた。それをイズナが拾ったのだ、と言った。
 カイの形見として、戦いに出るときに身につけていた鞘が、はずれたことは今までないこと、まるで、鞘が自らアマルカンから離れたがっているように感じたことは、言葉にしそびれたまま、イズナに尋ねる。
「今、一緒に住んでいるのは祖父母、と言ったが。父方、それとも母方の?」
 アマルカンがそう聞くと、イズナはきょとんとした。
「そういえば……、考えたことがありませんでした」
「ご両親がいらっしゃるころから、一緒に住んでいた?」
「いいえ。両親が戻らず、私と姉はお腹が空いて……。姉が鳥小屋から卵を拾ってきてくれて、二人で分けて食べたのを憶えています。そこに祖父母が訪ねてきて……、父と母が妖魔(ヴァン)に殺された、と、話してくれました」
「それからずっと一緒に?」
「はい」
 シズサとカイは孤児だった。アマルカンは、本人たちの口から聞いていた。だから、イズナには本当の祖父母はいない。少なくとも人間の両親にはいない。では、精霊(ア=セク)の? ラローゼの親なのか。しかしラローゼは精霊(ア=セク)界の王妹という話ではなかったか。王妹の両親なら、王の両親ということになる。精霊(ア=セク)王の両親が、この質素な家で? 十数年も?
 疑問符に気をとられていたアマルカンは、イズナの声に驚いた。
「私を、魔狩(ヴァン=ハンテ)の詰め所に入れてもらえませんか?」
霊武器(フィギン)が使えることは証明されたが……。エドア=ガルドに相談しないと、正式には……」
 魔狩(ヴァン=ハンテ)の詰め所は、伝統的に、領主が管轄するのだ。
「いいえ! 明日からでも! 今すぐでも!」
「焦ることは……」
「姉を助けたいんです!」
 ああ、やはり子供だ、とアマルカンは、目立たぬように嘆息した。人肉を喰らう妖魔(ヴァン)に攫われて、まだ生きていると思えるのだから。
 しかしアマルカンの懐疑が聞こえたかのように、イズナは、
「姉は死んではいません。……絶対に!」
と言い募る。
 アマルカンはじっとイズナの目を見返す。狂気や妄執の影を探そうとする。しかしイズナの視線は確りとしていた。アマルカンは、イズナの手がぎゅっと自分の胸元に当てられている意味を知らなかった。服の中に落とし込まれたペンダントに、ナズナが死ぬまで消えないと約束された宝珠が、いまも存在することを知らなかった。ただ、漠然と、精霊(ア=セク)の娘であれば、何か不可知の力を持つのかもしれない、と、思っただけだった。
「エドア=ガルドには相談しておく。それは約束しよう。エドア=ガルドの了解が得られれば、またきちんと連絡をさせていただく」
 魔狩(ヴァン=ハンテ)の戦闘は、霊力(フィグ)の消耗を伴う。数が多ければ多いほど、一人の負担を減らすことができる。ただ。同僚となる者が精霊(ア=セク)の血をひくとなると。コトハやネルソン=ガロウがどう受け止めるかは、アマルカンにも未知数だった。

 ◆

「二のアヤカシは一となる。
 異血(ディプラド)を受けるもの、その母なる者の唯一の娘、
 近接(タゲント)の刻に門を開いて、望む全てをノ=フィアリスへ導く。
 アスワードは人間の世界となる」

 予言を実現する異血(ディプラド)の娘は「唯一の娘」でなければならない。姉妹では、予言を外れる。イズナを捕らえることにも、殺すことにも失敗して、これ以上この情報を、父王リュウガや継嗣ナムガ王子に伏せておくのは、サガの感覚からして、限界だった。
 重要な話があるとナムガに伝令兵を飛ばし、サガは先んじて父のもとに降りた。父リュウガは、いつものように、王座の上で半ばまどろむように見える。王座の間の壁には細く精巧な棚が刻まれていて、総勢四百余の告存晶(レペィキスタ)が並べられている。王の統べる妖魔(ヴァン)すべての、告存晶(レペィキスタ)がそこにあるのだ。妖魔(ヴァン)は子供をなすと親や周囲が手を添えて告存晶(レペィキスタ)を作らせる。そして都市間を通う伝令に預けて王の元に献じる。一人でも妖魔(ヴァン)が欠ければ、リュウガはたちどころに、それを、知る。
 今回、サガに預けられた手勢とはいえ、サガは無断で動かして負傷させている。かつて気性の激しさで知られた頃の父なら、いったいどう反応しただろう。いま目もあげずにいる父はサガの訪れに気づいているのか。いないのか。
──サガが、ラローゼに似た気配がトキホにあるのに気づいたのは一昨日のことだ。十九年前、アドワーズ世界を貫いた精霊(ア=セク)王オーリンの怒りによって、ラローゼが人族(ユム)との子を身篭ったことは妖魔(ヴァン)の城でも推測をしていたが。それが予言にある異血(ディプラド)の娘であれば精霊(ア=セク)王オーリンが怒るはずもない。当然、子は男児であると思われていた。
 それなのに、サガはあえて確認に急ぎ、結果、異血(ディプラド)の娘を捉えて戻ったのである。ナムガとリュアは異母兄の手柄に堅苦しい賛辞を述べつつも功績への嫉妬の色は明らかだった。
 自らも異血(ディプラド)の身として、異血(ディプラド)の娘を手なづける役割を望んだサガに、父王リュウガは言った。
「この娘については、サガに任せる。……やってみよ」
 ところが、その娘が予言どおりの一人娘ではないとなると。年下の継嗣と、年上の異血(ディプラド)の王子の力関係は微妙となる。
 継嗣ナムガは、兵たちとは異なる王子の装いに、漆黒の翼を開いて、王座の間に舞い降りる。当然のように、リュアを伴っていた。ナムガを「兄上」と呼ぶ、彼の姉である。
「急ぎの用とは」
 ナムガは、威高々に問う。
「お呼びたてして申し訳ない。実は」
 サガのほうは、継嗣の位に敬意を表して敬語である。ナズナにイズナという名の妹がいること、手勢に命じて手に入れようとしたが、イズナは魔狩(ヴァン=ハンテ)霊武器(フィギン)を召還して抗い、兵は負傷して撤退してきたことを説明した。
「なぜ、手に入れる、などと迂遠なことを? 殺さねばナズナは巫女の任となるまい?」
「それが……。ナズナは、妹イズナのは告存晶(レペィキスタ)を持っております。イズナを殺せば、ナズナには解る、おそらくは心を閉ざしてしまいましょう。手勢を合わせてイズナを攫い、近接(タゲント)の当日までに何時どちらを殺すかを決めるというのは」
 どうだろうか、と、サガは言いかけた。ナズナとの約束を守ることは、論外だと、サガは思っていた。だが、思いがけぬ声が、サガの声を途中で絶った。
「動く必要は、ない。宿命に任せよ」
 しわがれた、重い声。リュウガだった。
「父上!」
 高く抗議の声を上げたのは、リュアだったが。それをも父は遮った。
「ラローゼの、下の娘。魔狩(ヴァン=ハンテ)になった、と、言ったな」
「はい」
「姉娘が真に予言の娘であれば。妹は、自ら動いて命を落とすだろう。妹が予言の娘なら、宿命がそう形づくる。下手に動いて、予言を歪めるな」
 リュウガの目は、鋭い。ついさっきまで老いさらばえ、まどろんで見えたのが嘘のような、見えない重圧を放っていた。先の継嗣を自ら斬ったという父王の前で、三人の王子王女は、それ以上、抗うことができずに、深く頭を下げる。
 そして、思いがけぬ柔らかな声で、
「負傷した兵には、私が癒し術をかけておきます」
 リュアが言った。サガは、癒し術が不得手だったので、手勢の中から力ある者を選んで依頼するつもりだったのだが、リュアの言葉に「ありがたく」と頷いた。リュアの悪意を想定せぬまま。

 ◆

 イズナに翼を斬られた妖魔(ヴァン)は、名をケドイと言った。他の妖魔(ヴァン)に支えられて妖魔(ヴァン)の城に戻り、サガに顛末を報告したとき、サガは難しい表情でそうかと言ったきり飛び立ってしまった。
 サガが不機嫌に見えたのは、内心の狼狽を隠していただけであることなど、ケドイには、推測する余裕がなかった。サガが部下の犠牲を繰り返すまいと、ナズナにイズナ招聘の手紙を書かせようと画策していたなど知るよしがなかった。
 ケドイのねぐらは、他の妖魔(ヴァン)とおなじく、城をかたちづくる多くの塔の地階近く、人族(ユム)流に言うなら二階に当たる辺りにあった。普段は飛ぶ者ゆえ飛行して出入りでき、建造物の陰になって日光は入りにくい。
 そこまでは、共に出撃した仲間たちが、送り届けてくれたが。癒し術を持つのは、妖魔(ヴァン)のなかでも数が少ない。出撃した者同士のなかには、術をもつ者はなかった。ケドイは、独り、ずきずきと疼く傷の痛みと、二度と飛べないのではないかという恐れに、体を丸めていた。
「ケドイ、傷はどうしました」
 声とともに訪れた影に、ケドイは息を呑んだ。声の主は、王女リュア。
 トキホは、リュウガ王の王城の餌場だが。他都市は、それぞれ王に任じられた貴族が妖魔(ヴァン)を束ね、配下に餌を取らせ、貴族自身から幼子にいたるまで分配する。その分配の基準は、貴族が決める。貴族をめざす野心ある妖魔(ヴァン)は、王城で人を狩る実績を重ね、王族の目に留まる機会を待つ。ケドイもそんな妖魔(ヴァン)の一人だった。
 いかにもプライドの高い目をした王女は、サガの手勢に割り当てられる前であれば、言葉を交わすにも遠すぎた王族。サガの配下に入ってからは、かえって、サガ以外の王子王女とは親しみにくい。ケドイをサガに割り当てたのは、継嗣ナムガの采配であって、ケドイ自身がサガを選んだわけでは、なかった。
 王女は翼を畳むと、質素なケドイの私室に、構いもせずに歩み入る。
 あわてて身を起こそうとしたが、
「いいのですよ、一番、楽な姿勢で」
 思いもかけぬほどに、甘い声。それを無碍に無視することがいいことか悪いことか分からずに硬直する。王女は、とろりと滑らかな身のこなしで、ケドイの傍らに腰を下ろすと、傷ついた翼にそっと手を添えた。滑らかな手指が、翼の傷口をあわせる。そして、霊力(フィグ)が、流れこんで来た。
 痛みが消える麻痺感は、ケドイに不思議な酩酊をもたらした。母親に抱かれた幼子のように意味のない声を漏らしそうで、ケドイはあわてて、唇を引き結ぶ。傷がふさがるのがわかる。急速に傷を消すために、リュアが霊力(フィグ)を消耗してくれているのも。
「おのれの部下が、こんな傷を負って帰ったというのに。癒しの術ひとつかけないとは」
 リュアの声は独り言のようでもあり。ケドイの耳朶に塗りつけられる、甘い蜜のようでもあり。
「リュアさまの下に移ることはできませんか」
 ケドイは半ば無意識に口に出してしまって、無礼だったか、と、身を縮める。どの兵をどの王子・王女に配するかは、継嗣ナムガの役分で。本来、兵が意見できることではないのだ。
「そなたが、望むなら。わらわからも、兄上にお願いしてみます」
 リュアは、妖艶に、笑んだ。
 妖魔(ヴァン)は本来、癒しの術が得手ではない。だが、霊力(フィグ)が強い者は、使うことができる。ケドイが持っている漠然とした知識はそこまでで、具体的にサガ自身が癒しの術が使えないこと、他の配下に命じようとしていたこと、それをリュア自身がサガに「自分が」と申し出たことを、知らない。