異血の子ら

■戦争世界・イーザスン■

 断続的な戦争状態にあるイーザスンは、爆撃の巻き上げる土埃で灰色の空をしていた。長い年月にわたって汚染物質の蓄積した土にはひょろとした植物が疎らに生えるのみで、汚れた海に斑に浮かぶ赤褐色と緑の粘性体がこの世界の呼吸作用をからくも保っていた。この世界にはまだ、精霊(ア=セク)妖魔(ヴァン)が人と共存するアスワードという世界があることを知る者は、いない。
「博士! 通信! 博士! 通信!」
 鳥型端末のミューが、胸元で跳ねて、ニエルは目を覚ました。博士と呼ばれているが生業は研究ではなくモンタニ軍属の兵士から請け負う特異な整備業務である。
 脳-脳(ブレイン-ブレイン)を受信OKにする。オフェーリアからだ。
「博士、ドジっちゃった、ごめん……。夜が明けてから『シェルター』にお願い」
 イーザスンの戦争で、現在、メインの戦力になっているのは艶やかなナノマシン結合の装甲をまとった戦闘要員、通称ドォルだ。オフェーリアも、その一人。モンタニ軍属の女戦士である。
 時刻は、午前三時も過ぎようかというころ。ニエルは、コンディションデーターを要求する。瞬きを一つすると、瞼の裏に、データ画面が像を結んだ。負傷の上に失血がひどい、表示はアラートで真っ赤だ。
 オフェーリアは、かなり意地っ張りなたちだ。メンテが必要だとしても、動けるなら自分でニエルの元まで来るだろうし、夜明けまで待てるなら明るくなってから通信をよこすはずだ。それがこの時刻に連絡をよこした、ということは、要するに、夜明けまで意識を保つ自信がないのだろう。
「ドォルともあろうもんが、何やらかした」
「セシドの追っ手も、ドォルだったの」
 ニエルは、舌打ちをして、愛用の道具をひっつかむ。ミューが、鳥を模した足で肩にしがみついてくるが、構っている暇はなかった。そのまま、バイクに飛び乗る。
 
 シェルターは町外れ、セシドの国境に近い側にある。地上は古ぼけた小屋だが、地下は、戦争の前に建造された小規模なシェルターになっている。半分廃墟で視界が悪い、周辺地帯をサーチする。オフェーリアを追って国境を越えてきたというドォルの影はない。
 ドォルはたいてい軍属だが、軍が支給する標準装備だけで生き延びることは難しい。で、ニエルのような民間技師……テクノロイアの出番になる。正確には軍規違反なのだが、戦争が何百年か続いて、規定なぞ、ぐずぐずになっている。
 標準以上の装備を買うために、彼らはときどきちょっとした裏社会経由の仕事に手をだす。そこでドジを踏むと今回のようなことになる。
 小屋のドアを開き、食料庫にみせかけた床の戸を上げると、そこがシェルターの入り口だ。
「俺だ、入るぞ」
 声をかけてから、梯子を降りた。
「もう、夜明け?」
 オフェーリアの声は、朦朧としていた。エメラルド色の装甲は血で汚れ、痛みからくる汗で柔らかな髪が頬にはりついている。
「なに寝ぼけてやがる」
 何時間も放っておける状態じゃないことが認識できてないとしたら問題だ。
 オフェーリアの腕の非装甲部分に、セラミックの矢が深々と刺さっている。動脈を傷つけたのか、出血はまだ止まっていない。オフェーリアの傍らに見知らぬ少年がいて、年齢は十六か七というところか、長めの髪、ベルトにツールバッグをつけた、よくある服装。
「ぼくには抜かせてくれなくて」
 と、声変わりが終わりきっていない声で、ぼそぼそ言う。あたりまえだ。ドォルは、信頼したテクノロイアにしか自分を触らせない。
「なんだ、こいつは」
「今日の、雇い主」
「ふん」
 要するに自分の負傷の原因を、オフェーリアはそのまま拾ってきたらしい。
 ニエルが装甲の一部解除を指示すると、オフェーリアは素直に従った。ナノユニットが排除されて露になった肌に、まず人工血液のパックをつないでから、傷の手当にとりかかる。消毒液で洗い、局所麻酔をかけてセラミックの矢を抜く。止血をし、細胞回復ジェルで覆い、仮外殻で保護する。
 ニエルの手を、少年が血にも怯えず、興味津々、注視している。その少年を、床に降りたミューが、興味津々、注視している。
「名は」
「ジャラン」
 と名乗ったが本名だかどうだか。
「セシドか?」
 顔立ちと服の雰囲気で見当をつけた。ジャランは否定しない。
 このあたりは、対立関係にある二つの勢力、セシドとモンタニが国境を接している。
「セシドのガキが、どうしてモンタニのドォルを雇う?」
 ジャランは、黙ったままだ。
「自白剤でも打ってほしいか?」
「無駄だよ」ジャランは、ニエルの目をまともに見返して言った。「ぼくは、テクノロイアだから」
 ジャランが、指で長い髪をかきあげて、複数のバイオメモリー・スロットを見せた。バイオメモリーは、脳から直接アクセスできるコンピュータである。出口は髪に隠れる程度だが、脳に深く刺さっている。メモリーも、それを装着するためのスロットを頭蓋に設ける手術も、それなりに高価なので、普通の人間が使うものではなく。ほとんどは、技術要員・テクノロイアだ。貴重なメモリーの中身を喋ったりしないよう、通常、手術と同時に自白剤耐性がつけられる。もっとも薬が全く作用しなくなるわけではない。秘密のかわりに胃の中身を吐くようになる。
 メモリーを装着するスロットの増設手術は、一財産かかる。ジャランの若さで、複数のスロットを持つのは珍しいが、ニエルはうらやましいとは思わなかった。自分で稼いだのではない金で体に何かを埋め込まれるということは、金を出した誰かに借りを作ることだから。
 メモリーは、本人の意志で排出して、他の人間に使わせることもできる。一方、本人が望まない場合は。金属イオンの溶出がない武器(たとえばセラミック)を使って首を切り落とし、首ごと保全液に漬けてから処理をしなければ、メモリーの中身は損傷してしまう。
 ニエルは、オフェーリアから抜いた、セラミックの矢を踏みつける。ごり、いやな音がして剛性の矢が折れた。ジャランは、ぎょっとしたようにニエルを見て。初めて、ニエルが自分自身を若干カスタマイズしていることに気づいたようだ。── 脚部のサイボーク化。
「逃亡テクノロイアってことね?」
 オフェーリアも、ジャランの事情を知らなかったらしい、横になったまま、深いため息をついた。ジャランは、オフェーリアに向き直る。
「あなたに怪我させるはめになったことは、申し訳なかったと思っています。ごめんなさい。三日くらいは誤魔化せるつもりだったんだ、実際には、逃げ出して三分で見つかっちゃったけど」
 
 怪我があまり目だたなくなるまで、オフェーリアは軍舎に帰せない。とりあえず、この"シェルター"に篭ることになった。食料や闇物資の調達から軍への届出の誤魔化しまで、必要なあれこれは、オフェーリアの戦闘パートナー、女戦士ティタニアに依頼した。通信の盗聴の可能性を減らすために、ミューを飛ばす。
「了解。そのかわり、何があったのかはきっちり聞くからねー?」
 という伝言を、ミューが持ち帰った。
 数時間後。ティタニア自身が現れた。鋼の光沢をもつ、青い装甲のドォルである。ティタニアが携えてきたのは、差し入れと、セシドのドォルが国境を越えて、モンタニの町に入り込んでいるという噂。セシドのドォルは、コートで装甲を隠して、人を探しているらしい。
「ドォルの装甲がちらっと見えたのは一人だけらしいんだけど、三人組だって」
「じゃ、追っ手のドォルは全員、こっちに残っているのね。セシドへ戻らずに」
「ドォル三人が護衛って、この子ひょっとして、すごい上流階級かなんか?」
 知らない、と、オフェーリアは肩をすくめる。
「ともかく、"裏"の仲介屋経由で、話が来たのよ。子供一人、海まで送って行けば、二十ギルだって」
 海は、セシドの町の向こうにある。
「そりゃ、国境は越えなきゃいけないけど。戦闘をしかけずに、バイクに乗っけていくだけだったら、そんなに無理だとは思わなかったし。セシドの運び屋だと親に通報されちゃうからモンタニの人間に頼みたいんだって言われて、引き受けちゃったのよ……、で、迎えにいったら、すぐに、バイクが追っかけてきたわけ。赤い装甲のドォルが三機」
「三対一かぁ。よく生きて帰ってきたわねー」
 自分のパートナーのことだというのに、へらへらした調子でティタニアが言う。
「しょうがないからモンタニ側に逃げ込んで、なんとか撒いて、ここに隠れて博士を呼んだ。……明るくなるまでは、奴らが探しているんじゃないかと思って、夜が明けてから来てって言ったんだけど、すぐ来てくれたんで、正直助かった」
「ジャラン、お前。三日は誤魔化せるつもりだった、って言っていたな。なんかカモフラージュしたつもりが駄目だったってことか」
 念を押すのは、敵に回したのが、テクノロイアの知識とスキルを上回る相手であることを確認する意味もあった。
「はい」
 ジャランは素直に頷く。
「これからどうするんだ。セシドのドォルどもが探している状態で、海まで行くなんて無理だ。帰る気はないのか?」
「殺されます」
 ぽつ、と、答える。
「じゃぁ、このあたりで、テクノロイアになるか? 仕事なら、紹介してやってもいい」
 黙って首を横に振った。あくまで、海に行きたい、というつもりらしい。
「ティタニア、仲介屋に、ひとっ走り連絡頼めないか? オフェーリアの契約は、とりあえず俺が買い取る。……ジャラン、お前には返金と違約金が入る。それで契約は終了だ」
「お金あるのー? ジャランの違約金と仲介屋の取り分、全部で五十ギルくらいにはなると思うけど」
 ティタニアは、ニエルの痛いところを突いてくる。
「相応分の作業受託で払うさ。俺の腕は奴らも知ってるはずだ」
 五十ギルなら、一ヶ月も働けばなんとかなるだろう。
「ちょっとまって。博士に出してもらうわけにはいかないわ」
 オフェーリアは、生真面目に声を上げる。
「オフェーリアがその気なら返してくれてもいいぞ? ……オフェーリアは上得意だからな。死なれると、こっちも困るのさ」
「あらあらー、博士、裏の奴らの受託、嫌いなのにー」
 ティタニアはコケティッシュに唇を尖らせながら、シェルターを出る梯子を握る。
「待って!」
 ジャランが悲鳴のような声をあげた。
「待ってください。どうしても海へ行きたいんです。……ぼくのバイオメモリーのうち一本は、最近発掘された、D-クラッカー、ディメンション・クラッカーの総合情報なんです」
 震える手で、ベルトにつけたツールバックを開く。取り出したのは、子供の頭より少し小さい装置。数百年前に発明され、その後、なぜか使われなくなった謎の装置、D-クラッカーだ。
「次元をこじあけて、飛行物体を次元の外へ吹っ飛ばしたって聞くが。それと海がどう関係があるんだ?」
「もうひとつ使い方があります。他の世界への道をつくるんだ。この世界から、出て行ける。しかも、ここのところ必要なエネルギー量が下がってきているんです」
「他の世界?」
「別の世界。パラレルワールド。計算してみたんだけど、海の上なら、水深百メートルもあれば、まわりを破壊しないし、海岸から一キロあれば波の被害もなく起動できる。出て行けるんだ。この世界から」
 ジャランの表情は……、「夢見るガキ」だ、と、ニエルは一人ごちる。どう考えても、馬鹿げている。
「行き先は、見えるのか?」
 ニエルの質問に、ジャランは極上の笑顔でかぶりを振った。
「ここよりは、どこだってマシです」
 ここ。この世界。数百年もだらだらと戦争が続いている世界。子供の体に高価なバイオメモリーを埋め込み、裏切れば殺し屋を差し向ける世界だ、ジャランにとっては。
「セシドの町を越えて海へ行くのが無理なら、湖でもいいんです。モンタニの側に、どこか、水深の深い湖はありませんか」
「水深百はないな。だが……」
 ニエルは少し考えた。
「むしろ、空中はどうだ」
「飛行機を奪うのは、とても無理です。気球は考えました。考えましたけど、上がる速度が遅すぎて、下から撃たれます」
 ニエルは、にやりと笑ってやる。
「メモリーを"ハンググライダー"で検索してみろ」
 バイオメモリーは、取り付けさえすればデーターの全てが使えるわけではない。知識はそこに存在するだけだ。検索し読み出さなければ、自分のものにはならない。
 ジャランは、少し遠い目になる。テクノロイアが、バイオメモリーに意識を集中するときの、独特の表情だ。そこにぱっと、笑顔が咲いた。
「これなら! でもどこから飛べば……」
「ここから山岳方向へ数十キロ行ったところに、おあつらえの崖があってな。飛んでみたことがある。そんときに作ったハンググライダーが、まだある。くれてやるよ」
「飛んだことがあるんですか!」
「あぁ。メモリーの中で見つけたもんのなかでも、とりわけ楽しそうだったからな」
「あぁ、やだやだ、テクノロイアって」
 ティタニアの声が割って入った。
「目新しい玩具のことになったら、モンタニもセシドもないんだから」
 横では、普段真面目なオフェーリアまでが、顔に賛成の表情を浮かべていた。
 
 数日後。ドォルの回復は速い。決して浅くなかったオフェーリアの傷も、ほぼ塞がった。
「いい風が吹いている」
 風の強さと向きで、ニエルは決行を決めた。
 もともとジャランと契約しているオフェーリアに加えて、ティタニアまでがどうしても参加すると言う。ジャランはニエルのバイクの後ろ、オフェーリアはティタニアの後ろ、二台のバイクで町の外へ向かった。ミューはいつもどおりニエルの肩にしがみついている。バイクの後部には、ボウガンよけの盾を立てた。
「走りにくぅい」
 ティタニアの声が、脳-脳(ブレイン-ブレイン)通信で飛び込んでくる。
 町を出ると、見慣れた灰色の空の下、視界は荒野になる。長居はしたくないが、短時間なら大した影響がない、軽度汚染地帯。三台のバイクがつけてくるのが見えた。気づかれたと判ったらしい、追っ手達は空気抵抗の大きいコートを脱ぎ捨てた。衣服がバサリと後ろに飛ばされ、ドォルの赤い装甲が露になる。
「ジャランが地上へ出たとたんに来たな」
 ジャラン自身かD-クラッカーに、電波追尾がついている可能性は、出立する前から予想していた。
 ダン、という音と盾の振動で、ボウガンの矢をはじいたとわかる。オフェーリアは、運転をティタニアにまかせて振り返り、バズーカで応戦する。だが、敵もなかなか器用に蛇行を使い、容易には当たらない。ボウガンとバズーカの応酬。距離は微妙に詰まってくる。ティタニアが、追っ手とニエルたちのバイクの間に、バイクを位置させた。ボウガンの射線をふさごうというのだ。
 もう崖は近い。バイクの上で、ジャランが立ち上がった。ビン、と音を立てて、グライダーの翼が開く。バイクの走行に悪影響が出ないよう、一段目の翼はそう大きくない。風でびりびりと震えて、今にも浮き上がりそうだ。翼が浮いたと思ったら、足を固定したフックを解除し、翼をさらに伸張する。それで、飛ぶはずだ。ジャランがD-クラッカーの装置をしきりにいじっているのを、ニエルは視界の隅で意識する。気になるのだろう、計算では、飛行に入ってから操作しても十分間に合うのだが……。
 がつん、という衝撃と共に、バイクが大きく滑る。ニエルはからくも急ブレーキをかけ、飛び降りて、なんとかバイクが倒れないように支える。バイクのタイヤにボウガンの矢が刺さったか、ホイールに巻き込まれたのか。ニエルは、確認する余裕もなく、
「はずすぞ!」
 ジャランの足をバイクに固定しているフックをはずす。ジャランが崩れ折れてきて、うつぶせに落ちた。そのときになって、ニエルは、ジャランの肩にボウガンの矢が深くつきさっているのに気づいた。
「逃げてっ! スイッチが入った……、十五秒しかない、崖が崩れる、逃げて!」
 ジャランがうめく。撃たれた時だか、落ちた時だか、衝撃で、D-クラッカーのスイッチが入ったのだ。ニエルは、自分のツールボックスを開く時間、ナイフを探す時間、ジャランの体に固定した装置を切り離す時間を計算する。それとも、ジャランの体ごと、崖から放り投げるか?
 ニエルは、迷いながらジャランの身体を抱き上げ……、その瞬間に風が吹かなければ、ニエルの判断は変わっていたかもしれない。
 ニエルは走った。サイボーク化した脚部のフル稼動。走りながら、ハンググライダーのスイッチを押す。翼はバネのはじける音とともに最大に広がり、風に乗った。
 空中を舞ったグライダーの翼の下で、翼とジャランを繋ぐハーネスの間に身体を割り込ませた。翼の向きを繰るコントロールバーを手に取る、少しでもドォル達のいる崖から離れる方向へ……。
 強烈な圧迫感が襲った。D-クラッカーが起動したのだ。
 ニエルは、この世界から出て行きたいと思ったことはない。
──だが、ああ、そうか。こいつがどう動作するのかはちょっと見てみたかったんだな。たしかに、テクノロイアっていうのは、因果な人種だぜ。
 意識が、闇に落ちた。