異血の子ら

■エピローグ 予言の結末■

 妖魔(ヴァン)の城の廃墟の底、妖魔(ヴァン)王リュウガは、目の前に少女がいるのを感じた。
 地上からの通路が開いている。
 精霊(ア=セク)数十人がかりの呪縛結界に囚われたことは、覚えていた。術に堕ちる直前、それが時間停止の呪であることも、理解していた。リュウガが強力すぎて、リュウガを破壊することも、凌駕することもできなかったのだ。時間停止によって、リュウガ自身の術をも停止させる、というのが、オーリンらのとった手段だった。
 その呪が、いま、わずかに緩められている。認識が戻り、念を発することもできた。
 ほっそりとした少女は、何か小さな生き物を抱いている。涼やかな目をした少女だった。
『わしを殺しにきたのか』
 言葉の発し方は忘れていたから、リュウガは、念で問いかけた。
「いいえ。お迎えに来ただけです。妖魔(ヴァン)王が、最後の純血の妖魔(ヴァン)。ここでこのまま封印されている生と、新世界ノ=フィアリスをご覧になっての数年の生。どちらをお選びになりますか? ……地霊(ムデク)たちは、今宵が近接(タゲント)に当たるといっています」
『わしは妖魔(ヴァン)だぞ。連れて行くというのか?』
「はい。私と一緒にノ=フィアリスへ向かってくださると宣誓をいただければ、封印を解きます」
『お前が、この代の異血(ディプラド)か。名は?』
「イズナ。父方に、先の異血(ディプラド)イズナの血を引きます。それにちなんで、同じ名をつけられました。母方は、妖魔(ヴァン)王の息子サガとイズナの姉ナズナの間の子の血を受けています」
『わが末裔か。よかろう、誓おう』
 イズナは、胸元に抱いたものを放った。小さな蝙蝠が、地上への階段を飛んでゆく。数分が経って、結界を形づくる霊武器(フィギン)が大地から抜かれるのを、妖魔(ヴァン)王は感知する。
 結界が消えた。妖魔(ヴァン)王は、娘について、玉座の間の壁に刻まれた螺旋階段を上りはじめた。翼を開いて飛ぶのではなく、淡々と階段をたどり、上っていく。この娘に、どんな力も誇示する必要を感じなかった。
『待っておった……』
「何をです」
『力あるものを。千三百年の齢を生きる妖魔(ヴァン)の王を凌駕する力をな。その者と戦うことを楽しみに、ただ、永らえた』
「私にはそんな力はありません」
『そのようだ。妖魔(ヴァン)は滅び、精霊(ア=セク)どもは栄えたか』
「いいえ。純血の精霊(ア=セク)には子供が生まれなくなりました。老いを跳ね返すほどの霊力(フィグ)を持つものはわずかでした。多くの風霊(ウィデク)が消えて、風と雲を整えてくれなくなったので、旱魃や冷夏が起こるようになりました。多くの地霊(ムデク)が消えて、大地を整えてくれなくなったので、地震が起こるようになりました。多くの樹霊(ジェク)が消えて、薬を教えてくれなくなったので、人は疫病が起こるとどうしてよいか判りませんでした」
精霊(ア=セク)どもは手をこまねいておったのか?』
「いえ。一部の精霊(ア=セク)は、人間の電気のせいだと言って、人間から電気を奪おうとしました。けれど、地霊(ムデク)たちは電気が消えると世界が壊れるといって、人間につきました。人と精霊(ア=セク)の戦いも、精霊(ア=セク)同士の戦いもありました。この戦いは結局、精霊(ア=セク)の数を減らす結果に終わりました」
精霊(ア=セク)同士戦ったと?』
「人間同士の戦いもありました。妖魔(ヴァン)が消えて、人が増え、食料や金属を巡って争いました。けれど、数が減るほどではありません。三百年前に比べれば、人は増えました」
『人はよく増えるからな』
精霊(ア=セク)の一部は、人と交わり、子をなしました。異血(ディプラド)の者は増えましたが、私のように霊力(フィグ)の術を継いだ者はごくわずかです。霊力(フィグ)を使えない子供たちは、ノ=フィアリスを望まず、アスワードに留まることを選びました」
 地上についた。そこには、ほんの二十人ほどの精霊(ア=セク)が立っていた。
「今夜、ノ=フィアリスへ渡るのを望んでいるのは、ここにいる者だけです」
『これが予言の結末か。この程度の人数なら、ノ=フィアリスへ渡した異血(ディプラド)の娘はいた』
「はい。彼女たちが予言の者ではないというなら、私も予言の者でなくていいはずです。私は王の族を殺すことを拒みます」
 イズナと呼ばれる娘は、まっすぐに妖魔(ヴァン)の王を見上げた。
 妖魔(ヴァン)の王は、笑んだ。
『お前の力を見せてみろ、妖魔(ヴァン)と、竜と、精霊(ア=セク)と人族の血をひく娘』
 少女は、緑の珠の連なりを捧げもつ。念を篭めた。珠は、大地とは水平に、一塊に立つ精霊(ア=セク)妖魔(ヴァン)王の周りへと広がって行き、すっぽりと包み込んだ。まるで、一つの船に乗せるように。
 景色が変わった。数限りない流れが、周囲を飛びすさっていく。船はそのうちの一つへ向かうかに見えたが、歪み、捩れた。弱った精霊(ア=セク)たちと、力ある妖魔(ヴァン)、異質の力を内包して、均衡を失うかに見えた。いくつかの悲鳴が上がり、何かが軋む音がした。霊術具(フィガウ)の船は崩れようとしていた。
『アヤカシの王の族、逝くを見よ』
 妖魔(ヴァン)の王は、自らの身を船からもぎ離し。精霊(ア=セク)と呼ばれるアヤカシと、彼の血を一雫継ぐ涼やかな目の少女を、霊力(フィグ)でもって、船が向かっていた世界、ノ=フィアリスへと投げこんだ。
 異界の景色が消えたとき、妖魔(ヴァン)王リュウガは、見知った世界にいた。
 崩れたはずの城が、夕日にきらきらと輝いていた。廃墟の部分はなく、新しく。
 リュウガが、数千年前に立てられたもの、として知っていたその城は、一部がまだ建てている最中だった。そこは、過去のアスワードだった。
 自分の手の中に、緑の珠の連なりがあるのに気づいて、リュウガはそれを地においた。霊術具(フィガウ)からなにかが立ち上がり、旗のように打ち震えて、文字を映しだした。
『二のアヤカシは一となる。
 異血(ディプラド)を受けるもの、その母なる者の唯一の娘、
 近接(タゲント)の刻に門を開いて、望む全てをノ=フィアリスへ導く。
 アスワードは人間の世界となる。
 アヤカシの王の族、逝くを見よ』
 最後の行は、あまりに震えてしかとは読み取れない。妖魔(ヴァン)精霊(ア=セク)が、ともに異変に気づいて、飛んでくるのが見えた。
 力が襲ってきて、リュウガはゆらりと後じさった。世界のゆがみ、時のひずみ、世界と世界の圧力が、リュウガを擦り潰そうとしていた。
『この、力か』
 妖魔(ヴァン)の王は、卒然として理解した。……理解したと思った。
『お前が、かつて愛したアヤカシを捨て、人族を取ったは、この力を恐れてか、……アスワード!』
 かつて星が、世界が、愛した種族があった。その種族と世界が共存できなくなったとき、世界はそのほんの一部を他世界へ逃して、世界の存続を選択した。
 地霊(ムデク)が聞くと言う、星を震わせる力を全身に受け止めて、リュウガは笑った。
『よか……ろう……』
 リュウガは、笑った。声を上げて笑い続けた。長い齢に蓄えた、霊力(フィグ)を、記憶を、歓びを、怒りを、哀惜を、苦しみを、老いた身体を、哄笑に換え、その哄笑を闇色の炎に変じて、燃やした。巨大な昏い火柱が立った。リュウガの存在は、理解の歓喜の内に、燃え尽きていった。
 妖魔(ヴァン)精霊(ア=セク)の目前。地には霊術具(フィガウ)が、不思議な言葉を吐いていた。暗色の炎の柱が、真を証すように地と天を結んだ。
 彼らがそれを力ある予言と信じたからといって。誰がそれを咎めることができようか。

The End